とにもかくにも受験勉強をして,
入試を受けたという経験は,
知識や技能を身につけるということについては,
一定の有効性があるようである。
近頃は,入試制度の多様化で,
一度も受験勉強を経験せずに
大学生になることもできるようになってきている。
そのため,大学生になってから
自分の基礎知識のなさに
愕然とするというケースも生まれているようである。
さらに,ノートのとり方や
レポートの書き方なども
全くわからないまま大学生になるケースもあるようである。
将来的には,受験勉強という言葉自体が
過去のものとなるであろうことを考えると,
今から,教師としても,
基礎知識や基礎技能を,受験というモチベーションに頼らずに
いかにして効率的に定着させるべきかを
根本から考え直さなければならないのではないだろうか。
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知識や技能を身につけるということについては,
一定の有効性があるようである。
近頃は,入試制度の多様化で,
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大学生になることもできるようになってきている。
そのため,大学生になってから
自分の基礎知識のなさに
愕然とするというケースも生まれているようである。
さらに,ノートのとり方や
レポートの書き方なども
全くわからないまま大学生になるケースもあるようである。
将来的には,受験勉強という言葉自体が
過去のものとなるであろうことを考えると,
今から,教師としても,
基礎知識や基礎技能を,受験というモチベーションに頼らずに
いかにして効率的に定着させるべきかを
根本から考え直さなければならないのではないだろうか。
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その人が3年生の担任のときにいろいろと相談を受けたんですよ。
「私は大学入試を経験していないから、進路指導に自信がもてない。○○大学や××大学を勧める場合にはどの資料をどのように判断すればよいのだろうか。それから、小論文は苦手なので助けてくれませんか?」と彼女。
「資料を見る前に、まず実際にその大学の過去問を時間を正確に計って自分で解いてみたらどうですか、英語以外ももちろん。私の場合、家庭教師している高校3年生と夏休みに一緒にその大学を想定した予備校の模試を一緒に受けに行ったり、過去問を時間通りに解いたりして、感覚をつかみますけど。小論文は国語の先生に頼めばよいではないですか、仲悪いの?・笑」と私。
時間の制約があるなかでの複数科目の平均的処理の感覚がまず分からない限り、資料を見てもなにも始まらないでしょう。大学入試は不合理な制度かもしれませんが、経験として一定の有効性はあると思います。
ちょっと思うところがあるので、書かせていただきます。自分は佐藤学を最近読んだばかりなので影響を受けていますが・・・
>ノートの書き方を知らない
私はノートの書き方どうこうではなく、子どもがそれを書く必要性を感じていないのではないでかと思います。先生が重要だというところがなんで重要なのか?それが必要だと子どもが感じていないのです。ノートの放棄は多くは中学から始まります。もうなんだかわからない授業、暗号だらけの黒板。書いていて意味なんてないじゃん。多くの中学生は教室で死んだ時間をすごしていないでしょうか?そしてそれをつくっているのが「高校受験」ではないでしょうか?
>学校は勉強するところ。
でも何故勉強するの?勉強してもリストラされる、とくに金持ちになれるわけでもないし、苦労しないでも遊んで楽しくくらせんじゃん。。。昔と違って立身出世という動機が見えにくい今日、受験勉強はなんの目的意識も形成せず、ただただ苦しむ行為となっていないでしょうか?
>一定の有効性はある
たしかにその通りだと思います。
しかし
「その制度が今の日本をつくってしまった」
という事実のほうがはるかに重いと思うのです。
また
高校受験と大学受験も分けて考えるべきだと思います。
「動機なき高校受験勉強」と「動機のある大学受験」ではまるで子どもたちに与える影響が違うからです。
「なぜ勉強はいるのか?」
それを納得させることなく、ただただ公式どうりに教師は教え込む高校受験勉強。
多くの子どもたちがそこで落ちていきます。
小学校まで目をキラキラさせて学校に行っていたのに、中学に入った瞬間から意欲が低下していきます。
そしてそのような教え込み受験勉強が生んだの結果がOECDの「大人の学力調査」です。この調査で日本の大人の学力は先進国の中で下から2番目という記録的な馬鹿さを露呈してしまったのです。
つまり、これまでの教育、受験体制が日本人を勉強嫌いにさせてしまったといえるのです。
上位にいる国はいずれも中学受験制度がありません。大人になっても勉強が好きなのです。
これから持続的な発展や高度情報化社会に向かう日本がどちらを目指すべきかは明確なのではないでしょうか?
人生=学びです。受験で終わるわけではありません。大人になっても学び、伸び続けるそういう人を育てるという視点がこれからの日本の教育に必要なのではと思います。
長々と失礼いたしました。
また立ち寄らせてください。
おっしゃるように受験勉強の弊害は確かにあるでしょうし,受験勉強という言葉で表される学習の方法や内容によっても,その功罪は分かれるところだと思います。
今の傾向からいくと,近い将来,大学にせよ高校にせよ,ごく一部を除いては,受験勉強の負荷は,ほとんど過去のものとなるはずです。
そのときに果たして,勉強しつづける基礎をどのように与えることができるのか,これがかなり難しい問題だと思っています。
受験勉強のアンチテーゼとしての学びそのものは,理念としてはよくわかりますし,学校も総体としてはその方向を志向していますけれども,それが,どの程度,こと「学力」の基礎作りという面で現実的に有効なのか,少々疑問に思っています。