学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

教育可能性を考える

2009-05-17 | 教育
「教育可能性」という言葉がある。

学校でいえば,
教師の教育活動によって,
子どもが教育される可能性のことである。

この言葉はたいへん深みのある言葉である。

可能性であるからには,
不可能であることも想定し得るのである。

つまり,教師が教育しても,
子どもが教育されない可能性があるということである。
考えてみれば,あたりまえのことである。

子どもは,意識的にせよ,無意識的にせよ,
教室にきちんと座ってはいても,
教育されないことを選び取る可能性がある。

教育されるかされないかは,
実は,子どもの主体的選択にまかされていると言ってもよい。

そして,その子どもの主体的選択は,
大人が教育活動の工夫によって,
完全にコントロールできるものではない。

ところが,我が国の教育論は,
この教育可能性を過大評価する傾向が強い。
すなわち,教師の働きかけによって,
子どもの教育が
完全にコントロールできるかのような論を立てるのである。
この論の立て方からいくと,
子どもの教育がうまくいかないのは,
教師の働きかけのまずさによるということに
簡単に帰着してしまう。

確かに教師が原因で,
教育がうまくいかないことも多い。

しかし本当は,
子どもの教育をコントロールする教師の力には限界がある。
そして,そこに学校教育の限界がある。

このことを丁寧に見つめた上で,
教育を語るべきではないだろうか。


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