高田博厚の思想と芸術

芸術家の示してくれる哲学について書きます。

覚書 民族性を形成する風土

2023-07-21 21:46:10 | 参照

民族性を形成する風土



歴史

 
民族の特性と言われるものを形成するのは、遺伝的要因であるよりも風土であろう。一般的にも、南方系と北方系、とイメージすると想像だけでよく把握できる。北方民族は、厳しい自然風土のなかで生きるのに現実主義的傾向が顕著となるだろうと想像しうる。現実的観点から、物事について公平な評価をする伝統と、苛酷な戦略をする伝統とが、相矛盾することなく同根的なものとして生じるだろう。
 
 






 
 

孤独と自己権威 

2023-07-18 19:08:32 | 日記

孤独と自己権威



 
孤独は自己権威の根源である。
 
これは自分が自分自身に行動しているときに解る。
 
 
 







人生は神さまが与えたクイズだと思っていればよい

2023-07-16 18:45:41 | 日記

人生は神さまが与えたクイズだと思っていればよい



 
それでおさまらないときもあるかもしれぬが… 
 
 
 
 


仕事のため日課は今月中は中止します

2023-07-14 15:32:46 | 日記




ヤスパースとマルセルの翻訳をしばらくお休みするお知らせです。
 
(その間もやれるだけやります。)  
 
 


落第級の善人の溜り場である日本  みずから悪を分有することは真理探求のためになかなか名誉なこと

2023-07-13 02:05:03 | 日記

落第級の善人の溜り場である日本  みずから悪を分有することは真理探求のためになかなか名誉なこと



 
ただの善人には、この世の悪の構造の観念をつくることは難しいのだろう。この意味で日本は善人の溜り場だ。頼りない善人の。 悪を見抜けるのは、みずからも悪を分有している人間だ。この意味で悪の分有も、真理の探求における徳なのである。このことを日本人の多くは なかなか思いつきそうにない。
 
ぼくは上の意味で悪を分有している人間だと、じぶんで認め得る。この悪は、発達した意識で必然的に懐胎され、隠微に活動に至るものであり、これ無くしては真の真理の探求もほんとうには出来ない、と思う。だから、優れた意識の者で同時にこの悪の分有者であることは、なかなか名誉なことなのだ。じぶんは、素朴なだけの善人ではないぞ、という自負が生じるのは必然で、善の探求にしても平凡な善人のもとは格がちがう、ということになる。じっさいそうなのである。 ぼくは傲慢であると言われてちっともかまわず、そんな見方は無意味でどうでもよいと思うくらい、本来のデカルトの子孫であり兄弟である。 倫理性や人間性にも、悪の分有が必要であることを、日本の倫理学は理解しているだろうか? 審判や評価の対象としてではなく、探求する主観の駆動力として。
 
 
情報のままに情緒的に反応する日本的善人は、普遍的善人のレベルに達していない、愛すべくも落第級の善人である。