この世は神さまの作る演劇だと思ってみる
2024年07月10日筆
自分本位に生きていると、どうしても ゆとりを持った観方ができなくなります。そういうときには、すべてはじぶんの責任であるような気もして、安らかでもなくなります。自己責任の意識も、ゆとりをうばうわけです。そういうばあい、思いきって、じぶんの意志によると思っているようなものも、すべて神の自作自演の演劇だと観じてみるのがいいな、と最近ぼくは思っています。演劇だから、予想外の、えっ、何でこんなことが、と思うようなこともあるかもしれません。そういうこともふくめて、見えざる筆者である神の思惑がはたらいているのだと観ずれば、思いもかけないゆとりが心に生じます。自縄自縛の苦しみから脱しようとすれば、神の観点を想定して、神さまが劇を創作していらっしゃるのだ、と思ってみる、「信仰」が必要なのではないかと、最近気づくようになりました。
「自己への退却」ということを書いていますが、「神への退却」は もっと能動的な行動だと言えるかもしれませんね。このことが最近の気づきの頂点だと思われます。
「自己への退却」ということを書いていますが、「神への退却」は もっと能動的な行動だと言えるかもしれませんね。このことが最近の気づきの頂点だと思われます。