《 バッハとモーツァルトとベートーヴェンは、私にとって音楽の三位一体(トリニテ)であると、前にも書いたように思いますが、これは私がもっとも傾倒する音楽家だというだけではありません。また音楽史上、画期的な偉業をなしとげたという、意義のためでもないのです。人間の歴史の中で、さまざまな人が「美しいもの」、人間の魂から生まれて、人間の魂に触れるものを創った。さまざまの色合いで、「自分のできる限り」において、「無限」への贈りもの(オフランド)をした。それらに対して、自分が音楽通になったり、批評家になったり、あるいはまた音楽史家になることを警戒しつつ、音楽を「学ぶ」、ということは音楽に向かって私自身の精神や感覚を純粋にし、精緻にする。つまり音楽に魂を照応させ、それと「対話(ディアログ)」することです。そうすれば自ずと音楽の本質が理解されてくるでしょう。たとえば人間が「自然」を愛するということは、愛すべきものと命令されたり、教えられて愛するのではなく、自分を自然の中に置いてみて、もしなにか自分を引くものがあったら、自分から「自然」に近づいてゆく。すると「自然」の本質が扉を開き、私たちを迎えるでしょう。自然への感覚はそこから生まれます。音楽ばかりでなく、あらゆる芸術はそれと同じです。》
高田博厚「音楽とともに」11 (著作集III、410頁)