確かに健康優良児の私でした
今は でしたという過去形になった
母は私が44歳まで元気でいてくれた
最後まで気になった娘であったに違いない
末っ子ということもあったし
何もかもが元気すぎたこともあった
反抗期には怒りんぼになった
「〇〇子や 上を向いて唾を吐くと自分に返ってくるぞ」
わたしは聞いて聞かぬふりをした
どこ吹く風やら
その後の私の人生に
母の言葉が重くのしかかったことが幾多もあった
本当にそうであった
いまだに時々思い出しては母を想い
無口な父を思い出す
ぢぞう画・文・書 竹本昌代さま
アッ文が飛んだ
せっかく書いた分が飛んだ
やっぱりパソコンのせいだ