今日は所用でMIFさんが実家に行くというので、前々から行ってみたかった河村城跡(かわむらじょうあと)に行くことにしました。
今回も写真多めなので、お暇な時にお読みください。
当初はJR御殿場線の松田駅から電車に乗ろうと思っていたら、2つ隣の山北駅までMIFさんが送ってくれました。
駅前に観光案内所があるので、ルートマップを手に入れました。
これは駅近くに掲示されているコース案内図。
ハイキングコースになっているから、女性1人でも安心かと思い1人で行ってみる気になりました。
ま、これがいろいろな意味で間違っていたのですが。
まずは山北駅に隣接する鉄道公園でD52さんにグリーティング。
動態保存をしているそうですが、私はこうやって見学できるだけで嬉しいです。
怪しいトンネル…ではなくて、トンネルの上は国道246号線。
都内では青山通りと言われている道ですが、80キロも下ればこんな感じ。
トンネルを過ぎると灯籠ばかりの道になります。
ちょいと暗くて、鬱蒼としていて、人の気配は一気になくなります。
河村城址入口の石碑。
駅前には河村城址15分の看板がありました。
でもこの石碑までがだいたい12分。
この道路の両脇が急峻な感じ…。
小田原城総構に見られる堀みたいです。
上から矢を射掛けられたらたまらんなぁ、と見上げました。
えー、ここ進むのー?
と思うくらい暗くて急坂でした。
Let's登城!なんて呑気に登ってきたのを少し後悔し始めました。
公園として整備されている城址だと思っていたので、甘く考えていました。
山城(やまじろ)なので、低山登山くらいの装備をして来るべきでした。
1人で歩くには、中年おばさんの私でもちょいと怖いです。
女性1人で登るにはちょいと心細くなります。
なお、そこらじゅうにクモの巣が張っていまして、小枝で絡めとって歩きました。
クモには悪いけれど、そうしないと前に進めませんでした。
堀切。
本城郭の地面にあった城郭の概要図。
河村城址碑。
本城郭全景。かなり草ボーボー。
木々の隙間から、山北町の市街地。
木橋を渡り蔵郭から近藤郭方面に進みました。
木橋の上から、登ってきた方面の傾斜地を望みました。
草ボーボー。
整備途中なのか、所々にシートや土建用具が転がっていました。
空堀(障子堀)。
神奈川県内最大の障子堀だそうです。
県指定史跡になっています。
毎年9月下旬に河村城まつりというイベントがあるそうですが、今年は中止になりました。
まつりの映像を見る限り、芝生広場かと思っていたら、今年はCOVID-19の蔓延のせいか、草刈りしている様子はなく草ボーボー。
土塁や山城を見に行くには、冬がベストシーズンと聞いたことがあるのですが納得です。
大庭郭の外れにある展望あずまやの上から、小田原城方面を望みました。
小田原城は、稜線の終点の木の影あたり。
お天気が良ければ、相模湾も見渡せます。
振り返って足柄峠方面。
足柄平野を望むと、開成町か南足柄市辺りが土砂降りでした。
大庭郭の端の方。
舗装道路が見えて、駐車場があることが分かりました。
自分が歩いてきたルートが登山道のような道で、所々イノシシ?と思わせる跡があったことを思うと、この舗装道路を歩きたかったと複雑な気持ちになりました。
駐車場も整備されていました。
障害者用駐車場はありますが、草ボーボーなので私が歩いた郭すべてを車椅子で巡るのは厳しいです。
また展望あずまやは、階段でしか登れなかったので車椅子ごと担ぎあげるしかないかなぁ。
駐車場脇のお手洗い。
利用しませんでしたが、まだ新しい感じでした。
ここからハイキングコースでは、洒水の滝(しゃすいのたき)という、名水百選に選ばれている滝に行けるのですが、今回は山北駅に戻る道を探します。
山北町の市街地もよく見えて来たので、適当に歩けば、たぶん駅につくだろうから…とプラプラ下山しました。
こんな立派な山道なのか、河村城を観光地として売り出したいんだなぁ、とツラツラ考えていました。
あれ?知っている道に出たんだけれど…。
ここって5月24日の西湘さんぽで通った県道です。
ということは呑気に下山していたら、山北駅なんてとっくに行き過ぎて、全然違う方向に来ていたんだ…。
山北駅に戻るなら、隣駅の東山北駅(ひがしやまきたえき)に行こうかな、と思い直しました。
以降、続きはまた明日です。
なお、河村城について少し。
平安時代末期に築城されたと考えられる中世城郭です。
源平合戦では、城主河村義秀は平氏方でした。
源頼朝に領地没収されたけれど、流鏑馬の妙技が認められて本領復帰したといわれ、これが近くの室生神社の流鏑馬神事の由来と言われています。
またこの城は、秀吉の小田原攻めで廃城になったそうです。
立地としては、甲斐国との交通の要衝だったため、相模国の北東部の重要拠点です。
大庭郭近くの障子堀は、富士山の宝永噴火(1707年)で火山灰の天地返し跡があるそうです。
完全なる廃城といよりは、物見台くらいの役目は残っていたんじゃあないか、と私は思いました。
私見ですが、名物を作るのであれば「障子堀&郭チョコレート」なんていかが?
立体的な型にチョコレートを流し込んで、障子堀や郭を表現できたら、山城好きにはたまらないと思うのですが。
今、新東名高速道路の建設に伴って、新河村城が発掘調査中です。
今回の河村城と違って、新河村城は城址の半分は高速道路建設で消失する予定です。
それなら、河村城と新河村城の2つセットで板チョコになったらいいのになぁ、と思ってしまうのです。