makoto's daily handmades

川崎市中原区・春を感じるぶらり散歩 後編

昨日の前編からの続き。

さて、泉澤寺を出て、再び二ケ領用水沿いに上流を目指す。
この辺りはハナモモが多く、桜は少なめ。








ふと脇を見ると雰囲気がある門扉。見るとお寺さんの南門と書いてあり、人が出入りしている。
お邪魔してみることにした。


ショカッサイの花。私が子どもの頃住んでいた茅葺き屋根の家の裏に咲いていた。
当時はムラサキダイコンの花と言っていた。
このショカッサイがあったところにタワラグミの大きな木があって、木に登って実を摘まんでいた。
親にお願いして、何としてもタワラグミの木を残して欲しいと懇願したが、私の願いは叶わず、家の建て替えのために切られてしまった。


こちらが正面の門で、府中街道(国道409号線)に面している。


目を引くのはこちらの建物。寺子屋跡。


近くで見るとあまり古い建物に見えないし、中も見えないのでよく分からない。


二宮金次郎像。珍しく台座に乗っていないので、来歴(大抵奉納年月や寄贈者名が記載がある)が不明。
ただ、川崎市内辺りで二宮金次郎像が設置されたのは、大正時代以降なので古くても100年モノくらい。そこまで古い風化した風合いもないので、よく分からない。


寺子屋の建物前から望む高願寺。
ふと思いたって調べてみた。私は学生時代にこの近くの川崎市公文書館に通って勉強していたが、高元寺って名前には覚えがなんとなくあった。
高願寺?と思っていたら、2005年から元から願に変わったそうだ。


高願寺の前から寺子屋を望む。

写真は撮らなかったが、このお寺さんの向かい側に駄菓子屋がある。
私が学生時代だった20年以上前からすでにあって、いつか立ち寄ってみたいと思っているが、いまだ立ち寄ったことがない。
大人が立ち寄るにはハズカシイくらい子どもばかり。
そして、私には子どもがいないので、駄菓子屋に立ち寄るにはハードルが高すぎる。
当然、孫も出来ることも無いので、一生立ち寄ることは無いのだろう。
でもいつかは…と葛藤を伴うくらい立ち寄ってみたいと思っている。

さて、再び二ケ領用水沿いに戻る。



これは見たことがない植物だ。調べておこう!




真榊かな?スゴく色が鮮やか!


ボケだろうか?この季節でボケって咲いている??3月いっぱいで散るモノだと思っていた。

ふと気が付くと、あれ?目的の交差点辺りを過ぎている?と思う。
慌てて府中街道(この辺りでは二ケ領用水と平行している)に行く。

このキャラクターのファミレス前にいた。
思っていた場所よりすこし上流まで歩いていたようだ。


本当はこの交差点、等々力緑地入口交差点に出たかった。


等々力緑地の改修工事によって、風景がガラッと変わった!
ショックだ!!
本来はここに、噴水と大きな像があったんだ。

その像は脇に寄せられてしまった。

この像は「健康美」というタイトルで、北村西望氏の作品。
北村氏は、長崎市の平和祈念像の作者だ。

川崎市内の小中学生は、1度はこの等々力緑地に来る。
私は初めて来たとき「なんでここに長崎市の平和祈念像があるの?」と思ったくらいだ。
全然違うけれど、同じ作者の作品がそう思わせるのだろう。
だから、調べたり先生に聞いたりして疑問を解いたモノだ。

この像だけは、等々力緑地のシンボルとして、正面に据えて欲しかった。
とても残念でならない。
健康でいるためには、スポーツや癒しの空間としての緑地はとても大切。
そういった緑地が維持できるのは平和だからなのに。
シンボルを邪魔者にして脇に寄せる…大丈夫か?川崎市、こんなことするの?川崎市…。


像の前から等々力競技場を望む。
近年整備が進んでいる。
2020年東京オリンピックでは、選手達の練習用会場として使われるという。
そうなると宿泊施設が足りらしい。
現在も自宅近所で宿泊施設が建設計画がある。
しかし、オリンピック後はどうなるのかな?日本は人口減少傾向だぞ…と思う。


この辺りは、野鳥もたくさんいるそうだ。


この広場は桜があるのだが、お花見のグループがたくさん。

ここからすでに昨日紹介した禁足地とまんが寺に向かう。
相変わらず地図を持たないので、じつは道を間違えていて禁足地まではこの順路では遠回りだった。


府中街道沿いから武蔵小杉方面を望む。


若い頃に通っていた川崎市公文書館。
お気づきだろうか?前出の高願寺や寺子屋のすぐ近く。
駄菓子屋はこの敷地の隣。


小杉十字路交差点から府中街道を離れて中原街道沿いに進む。




こんなところにも歴史を感じる古い街道。
江戸時代の初期はここが東海道だった。
徳川家康が鷹狩りでこの辺りを歩き回ったのかと思うと、歴史ある場所だな、と実感するを


中原街道からまた脇道に入る。


中原街道の小杉にはカギ字形の道路がある。教習所で習うクランクの大きめな形と言えばいいかな?
その道路は歴史的に江戸の攻防のためなのだ。
東海道を通って一気に江戸に攻め入ることが出来ないようにするためなのに。
だが、現代では邪魔扱い。この道路を直すそうだ。
歴史学者の村上直先生がご存命だったら、どうお感じになられたかな?お聞きしてみたかったなって。


何度も紹介している西明寺。


門扉の寺紋。ミツウロコだ。








この鐘撞き堂。ふと気になって寄付者のお名前を拝見したら、前職の時の役員だった方のお名前があった。寄付した頃は30代くらいだったのかな?
もうお亡くなりになっているし、引退されたのは10年以上前だが、役員だった頃は何かと話しかけて来る方だった。
広報の仕事をしたことがあった方だったので、広報担当だった私にいろいろと思い出話をして下さった。
ついいろいろとと思い出して涙が流れてしまった。
前職も広報の仕事も未練はない。ただ、そういった思い出を共有した方々が次第に亡くなってしまうことが悲しい。


参道にあった二宮金次郎像。台座の文字が読みにくいが「皇紀二千…」までは読めたので、皇紀2600年の記念に二宮金次郎像を作ったのだろう。西明寺には寺子屋か教育関係の施設があったのかもしれない。




正面の参道から。


この後は市バスルートで武蔵小杉駅に向かう。


武蔵小杉駅近くのタワープレイス。この周りの桜はだいぶ咲いていた。
自宅出発後は気温が高くなっていたので、開花が進んだかも。

前編・後編で合わせて二時間半くらいウロウロしていた。
歩く速度も以前よりも速くなったかな?
足の痛みは無かったし、こんなに歩いてビッコにならなかったのが嬉しい。
桜の美しさとともに、足がだいぶ回復している実感。
いろいろな思い出がブワッと溢れたり。

いい散歩になった!
そして…顔がちょっとヒリヒリ。
ああ、日焼け止めクリームを塗るのを忘れてた!あはははは、仕方ないや!

コメント一覧

makoto
jun-sweetsさんへ
今もちょっと顔がヒリヒリ…。

お寺の名前(漢字)は、元々江戸時代には高願寺だったのが、いつの間にか高元寺が使われて定着していたそうです。
古文書で調べ直したら、高願寺がずっと使われていた歴史を再発掘(!)して、元に戻した…なのだとか。
願は画数か多いので、元を略字として使っていたのかな?と。
jun-sweets
こんにちは(^^)
どの花も綺麗ですね。
散歩も気持ちがいいでしょう(*^^*)
お寺の字が変わるなんてことがあるんですね。
日焼けはお肌の大敵!気を付けてくださいね。
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