昨日はMIFさんが所用で松田町へ行くついでに私もついて行きました。
なお、密にならない時間帯と場所を選んでいます。
オープンエアでも、これからのシーズンは混雑が予想される場所も含みますので、訪れることをお勧めはしません。
また今回、長文なのでお暇な時にお読みください。
JR御殿場線松田駅から、西平畑公園のこの入口までは徒歩10分くらい。
この辺りは神縄・国府津ー松田断層の断層崖に当たります。
簡単にいうと、首都圏にいつ大震災を引き起こすか分からない場所の1つです。
ここは河津桜の名所。
奥の白い山は富士山。
黒っぽい山は西丹沢から箱根にかけての足柄の山々。
金太郎さんのふるさとです。
河津桜には早いけれど、菜の花はキラキラ輝く黄色。
今は使用中止のローラー滑り台。
奥は箱根の山々。
真ん中に酒匂川が流れて、足柄平野を一望できます。
奥の白い建物が松田山ハーブ館。
足柄平野のシンボルの1つで、眼下の東名高速道路や国道246号線からもよく見えます。
電車なら、小田急線やJR御殿場線の車窓からも見えます。
公園全容。
断層崖を歩いて登って来たので、花を見ながらでないと、かなりきついです。
この看板近くに駐車場がありますが、ヘアピンカーブもあるので峠道が苦手な方には運転が苦痛だと思います。
いろいろ施設はありますが、当面の間休業中だそうです。
小僧さんもマスク姿。
ハーブガーデンは今のシーズンはほぼなにもなく、少し菜の花が植わっていました。
ハーブガーデンから足柄平野を望みました。
真ん中の一番奥は、相模湾の西の方。
いつ来てもこの眺望の素晴らしさは清々しい気持ちになります。
そして、この断層崖を登ってきた自分を誉めたいです。
ここで一休み。
持参したお茶を飲みました。
座っていたベンチから見上げたら、ライブカメラを発見。
東名高速道路、富士山、平野部を河津桜とともに中継できるので、2月半ばになるとNHK(首都圏の放送だけ?)などでよく取り上げられています。
今度は車道から山を下ります。
時間帯のせいか、西平畑公園の敷地内ですれ違ったのは、遊歩道で1人、小僧さんの像の近くで3人、ハーブ館のスタッフさんらしき2人。
あと車が1台。
写真の辺りは、東名高速道路の松田バス停付近になります。
このバス停のすぐ近くに公園の入口があります。
ここから東名高速道路沿いの道を山北町方面に進みます。
ずっとこんな感じで、左側に東名高速道路のフェンスを見て、正面に富士山を見ながら15分くらい進みます。
この看板を見かけたら、矢印の方向に進みます。
ここも神縄・国府津ー松田断層の断層崖で、看板はありませんが農道のようです。
この看板の近くで、わんちゃんの散歩をしている方とすれ違いましたが、もしかしたら農地の持ち主のかもしれません。
5分くらい登ると説明板がありました。
典型的な山城で、遺構の一部は東名高速道路建設に伴って破壊済み。
右側から、大野山、富士山、足柄の山々、馬の背のように続く足柄峠、金時山、箱根外輪山と続きます。
1枚上の写真から同じ場所から撮影。
箱根外輪山の裾野、目の前で、西から流れる酒匂川が流れを南に変える場所でした。
僅かに文命堤が見えました。
6月になれば、ここから開成町のあじさい農道が見える場所です。
ここまではアスファルト舗装してありました。
この先は未舗装。
舗装していない農道を少し進んでみました。
轍があるので、軽トラは入ってくるし、左側の土累は曲輪跡だそうですが、どうみても農地。
この山の上の方には、最明寺自然公園がありますが、公園まで続く道なのかもよく分かりません。
なにしろ作業小屋や周りの畑には人影がありません。
肉眼では相模湾が見えるので、たぶん小田原市の国府津辺りが見えているのかと思います。
この辺りが松田城の一番奥のあたり。
ただ、ここは私有地?だと思われたので、城址見学はここまでにしました。
さて、ここからまた断層崖を下りました。
西平畑公園も松田城址も同じ断層崖の上にあるのですが、この2つを直接繋ぐ道はありません。
そのたびに断層崖を登ると、最近あまり外出もしなかったせいで、冬でも汗をかくほど息があがりました。
ここから少し進んで、東名高速道路の下をくぐり抜けました。
この上側が高速道路。
四角い箱みたいな道が物珍しいです。
国道246号線にであいました。
このすぐそばにある宝寿院と桜観音を拝観してきました。
ここの住所は、松田庶子(まつだそし)。
さっきまで巡ってきたのは、松田総領(まつだそうりょう)。
波多野氏の分家の松田氏は、この町を領地にしていて、総領(跡取り)が松田総領をおさめ、庶子(跡取り以外)が松田庶子をおさめていたそうです。
だから町境は複雑に入り組んでいて住民ではない私にはとても分かりにくいです。
JR御殿場線の踏切を渡って、酒匂川の河原に行きました。
酒匂川の近くには、こういった河原の石の塀(土留め)がたくさんあります。
たぶん古くからの市街地に多い印象です。
新しい住宅地は、元田んぼだったところだとMIFさんから教わりました。
そういう場所では、河原の石の塀(土留め)を見かけません。
私が住む地域には見かけないので、珍しく感じました。
酒匂川につきました。
対岸の松の木がある辺りが、文命堤東堤の端あたり。
この堤は、江戸時代に田中休愚という人物が建設に関わりました。
田中休愚は、わが家の近くにある二ケ領用水の改修に尽力した人物でもあります。
ここから少し下流方面に進みました。
見えにくいのですが、現代風の蛇籠。
治水では古くから使われているそうです。
鮎塚。
酒匂川は鮎が特産の1つ。
そういう地域でないと、鮎塚なんて見かけないよなぁ、と感心してしまいました。
鮎のモニュメント。
ここは十文字橋という橋の近くです。
すこし土手の上に座って酒匂川を眺めていました。
ここからすぐの寒田神社にも立ちよりました。
神社の社殿の少し奥に建物が建ち初めていたので、マンションでもできるのかな?と近くに寄っていったら、松田小学校の新校舎の工場でした。
これまでグランドだった場所に新校舎を建設するそうです。
この小学校の校庭には、二宮金次郎像があって、以前は周囲の道路からも見えていました。
最近は、学校の建て替えに伴って二宮金次郎像も撤去されるそうです。
二宮金次郎の出身地にも比較的近いこの小学校。
像は残してもらいたいな、と勝手に感じています。
今日はここからJR御殿場線の松田駅前まで行き、MIFさんと待ち合わせて帰路につきました。
ちなみに帰りの高速道路のインターチェンジで財布を拾いました。
そのインターチェンジの事務所の方に拾った財布を渡したました。
私たちが拾った場所も場所だけれど、第三者が拾得した貴重品の場合、本来は、届けられた施設管理者は手続きがとても面倒なんだけど、それもなし。
しかも、届けようにもどうやって事務所に行けばいいか困っていたら、屋外放送で事務所の人に怒られるし。
なんだかな~、とモヤモヤする気持ちとこんなこともあるのか、と驚くばかりでした。
同じ県内ですが、私が住む地域とは少し違って少しゆったりとした空気感がありました。
その分、私はなるべく人と同じ空間にいないようにしたり、室内にはなるべく近寄らないようにしました。
本来なら、この町の図書館で松田城や松田氏の歴史を調べたかったな。
それはまたいつか、それまで楽しみにしたいです。
今日も遠くまで連れて行ってくれてMIFさんありがとうございました。