入院中の父に会ってきました。
病名は誤飲性肺炎と脱水です。
その日の午前中に私の地元の警察署で運転免許返納について相談してきました。
父の免許証は、たくさんの種類が運転できるンです。
それが父の自慢の1つで、長年車の運転が好きでした。
いろいろなところに連れて行ってもらった思い出がいっぱいあります。
だから父に自分の運転免許証とのお別れをきちんとしてあげたい、それが私の希望です。
運転免許証を失くすにはいろいろな方法があります。
1番簡単なのは失効、更新手続きをしないこと。
でも、これは後日運転免許証を警察に返納しなくてはならないので、なんの跡形も無くなるそうです。
でも免許証を自主返納すると、今の免許証は穴が空くけれど手元に戻してくれる(記念品としてくれる)と言うのです。
なにも運転記録証明書を発行しなくても、記念品として残るのなら、それもいいかな?と。
運転記録証明書は、運転免許証と同じ形式の証明写真が必要で、入院中だとその写真撮影が非常に難しいそうです。
面会時間は10分しか許されませんでしたから、手短に話して、父に免許証返納の意思確認と、父の誕生日頃に手続きをしましょう、と約束を取付ました。
その頃、父の症状がどうなっているのかはまだ分かりません。
父がその約束を忘れていても構いません。
その時はまた父に説明すればいいじゃあないか、とかなり呑気に構えています。
そしていろいろ母や兄をせっついてあれこれやらせていたせいか、兄に怒られました。
私の言い方がキツいそうです。
ああ、この人達は頑張ったり、踏ん張れないところにいるんだな、と。
打ちひしがれるのは構わないンだけれど、それは結局父のためになっているのか?と。
一生に一度の父親の介護、最初で最後の父の介護。
後悔を残したら、一生暗い影を落とす、なんて考えができないほど、フリーズしているのね。
ああ、可哀想に。
辛辣でキツい性格の私には、そんなふうにしか捉えられません。
踏ん張れない人々を前に、私はもうなにも手出しできないじゃあないの。
やれることは今やれ、すぐやれ、という社会人経験をしてきてしまった私には信じられない光景が眼前に広がっています。
親戚や友人達にいろいろな介護経験(手続きも)を聞きまくりで、良かった制度、悪かった制度を調べている最中です。
介護は人それぞれとは聞きますが、本当に正解がないものですね。
すでに親を亡くした方は「最善なんて分からないよ」ともおっしゃいますし、「家族で揉めるのは当たり前」ともおっしゃいます。
いま真っ最中の方は「入所か在宅かで揉め、口出すヤツほど動かない」とも言われたし。
あー、それは私のことか?私のせいか?と自問自答です。
父が元気になったら、実家の果樹園の中を父と一緒に一回りしたいです。
その時父は自分の足で歩けるでしょうか?車椅子でしょうか?
なんにせよ、果樹園の中を移動しやすくできるように、私は草刈り機を使いこなせるようになりたいです。
父に元気でいてもらいたい、それが単純な願いではなくなりつつあることを自覚しつつ、父の介護という伴走をしていきたいです。