巨人・レッズ・チャーハン(2019年は和と動)

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バークレーが好き

2011-07-16 02:48:25 | NBA
私がNBAを知るきっかけとなったのは、ベタかもしれないけど1992年のバルセロナ・オリンピックのドリームチームだった。
MJ、マジック、ラリー・バード、ドレクスラー、ユーイング…。
それはそうそうたるメンバーだった。

そんな中、私が魅了されたのがチャールズ・バークレーだった。初戦のアンゴラ戦で、いきなり相手選手に肘打ちをぶちかまし、以降ブ~イングを浴びながらも「そんなの関係ないぜ」とばかりに堂々とプレーする。まあ、肝っ玉が据わっているというか…。

今考えると、なぜこの時、MJを好きにならなかったのだろう?そうすれば後に、何度も優勝を体験できたのに…




オリンピックが終わった、次のシーズンはフェニックス・サンズへ移籍。
シーズン62勝をマークし、バークレー自身も大活躍しMVPに。
プレイオフも勝ち抜きファイナルへ進出。相手はMJのいるシカゴ・ブルズ。ホームコート・アドバンテージを持ちながらもGAME1・2・6といずれもホームで勝てないのが響き2勝4敗で敗れてしまった。





93年のファイナルでは右肘を負傷しながらも奮闘したバークレー。
94・95年にはオラジュワンのいるロケッツに敗れ、96年にはチームも低迷し、カンファレンス7位でようやくプレイオフに進出できるチームに成り下がってしまった。オーナーとの確執も表面化し、バークレーは移籍を志願する。





移籍先はロケッツ。オラジュワン、ドレクスラーのBIC3が誕生するが、いかんせん3人とも年を取りすぎた。
カンファレンス・ファイナルでマローン、ストックトンのいるジャズに敗れ、以降、チームが上昇気流に乗ることはなかった。
2000年。「今年が最後のシーズン」として臨んだが、試合中に大怪我をしてしまい、バークレーは引退を決意。
悲願のチャンピオン・リング獲得はならなかった。




バークレーと言えばリバウンド。
実質193㎝とパワー・フォワードとしては小柄ながらもリバウンドを取りまくった。まさに「空飛ぶ冷蔵庫」である。
現在はTNTの解説者として、得意の毒舌を披露している。
日本では一時期、田中真紀子議員が歯に衣着せぬコメントでマスコミに取り上げられていたが、私は何とも思わなかった。何せあの、バークレーの毒舌をさんざん聞かされていたからね。

残した記録も素晴らしいが、記憶にも残る名選手であったことは間違いない。


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