N ’ DA ”

なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

私はホロコーストを見た 黙殺された世紀の証言1939-43 上

2021年02月24日 15時50分50秒 | 読書・戦争兵器



『ショアー』の証人の一人、ポーランド・レジスタンスの密使ヤン・カルスキが、1944年世界に向けて発信した奇跡的な証言。ポーランドの敗北から、命がけの諜報活動、ゲシュタポによる拷問、自殺未遂、そして病院からの脱出劇までを描く

1914‐2000。本名ヤン・コジェレフスキ。ポーランドのレジスタンス活動家。学業優秀で外交官となるも、まもなく第二次世界大戦勃発。ポーランドがナチス・ドイツとの電撃戦に敗退、領土をナチス・ドイツとソ連とに分割されたため、初めはソ連赤軍の、ついでナチスの捕虜となる。ゲシュタポによる激しい拷問を受け自殺未遂を犯すが、搬送先の病院でレジスタンスの同志によって救出される。数々の偽名や身分を使いながら(最終的なコードネームはカルスキ)、並外れた語学力と記憶力を武器に、地下活動をつづけるポーランド秘密国家に奉仕。1942年夏、ユダヤ人指導者らの依頼でワルシャワ・ゲットーや強制収容所に潜入し、そこで目撃したナチスによるユダヤ人大虐殺を世界に伝えた

わたしたちはロシア兵に追われて貨車に押し込まれた。貨車に追い込む人数だけを数え、60人に達すると満載ということのようだった。長旅になるとうのははっきりしていた。赤軍将校がわれわれに駅構内の水道であらゆる容器を満たすよう命じたからだ。わたしは駅に並んだ60輌のほぼ先頭に入れられた。全員に500gほどの干し魚と1キロ半のパンが配られた。

移動は永遠に続くかと思われ、4日4晩かかった。
毎日一度、30分だけ列車は停まった。60人分の黒パンと干し魚が配られる。

ロシア兵が捕虜を罵倒したり殴ったりするのを、わたしはいちども見たことがない。
最大の脅しは「静かにしろ、なんならシベリアに送ってやってもいいんだぞ!」
と昔ながらの台詞である。
ポーランド人にとってシベリアがどれだけ恐ろしい場所か、彼らはよくわかっていた。

「気をつけろ。そうしないと銃殺隊の前に立たされてしまうぞ」
「僕はどっちでもいいとおもっています。人生は複雑すぎるし、世界は卑劣すぎる」

彼は、戦時中における最初の権威だった。
彼は、レジスタンスが死刑を宣告したゲシュタポの手先や裏切り者に対する死刑の執行を担っていた。通常、レジスタンス構成員には物資的支出に対する補助金が支給され、緊急避難用に複数の住所を持っているほか、ゲシュタポの手入れがあったときには、食事やベッド、隠れ場所を提供してくれる家とも連絡がとれるのだ。

「罪を犯した」個人が逮捕されなかった場合、共同体の全員が罰せられなければならない。
ポーランドでは、列車を脱線させたり倉庫の爆破、貨物列車を燃やしたりのさまざまな破壊工作を行ったレジスンス闘士が、何事もなく無事に切り抜けられることはよくあることだった。そんな場合、地元住民が報復の犠牲となって集団処刑されたのである。たとえば・・・
ドイツ当局は、カフェの近くに住む事件にはまったく関わりのなかったポーランド人200名を逮捕して銃殺した。だがしかし、わたしたちが活動を放棄すれば、ドイツ人は目的を完遂してしまう。
この残忍きわまりない策略を用いて、ドイツ人はレジスタンスに武装闘争を断念させようと図った。どれだけ多くの犠牲者が出ようと、家族がどれだけ苦しみ不幸になっても、わたしたちはひるむわけにはいかなかった。ドイツ人がこのポーランドで安心して暮らしてはならないからである。
どこを見ても国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)の党旗:ハーケンクロイツ(鉤十字)がはためき、どのショーウィンドにも大きなヒトラーの肖像写真が飾ってある。

ドイツ人には挨拶をし、道路では先を譲り、自動車や路面電車に乗るのは禁止。自転車を持つことさえ許されない。法律による保護は受けられず、動産と不動産などすべての資産はドイツ当局に供出しなければならない。

自分の気持ちがどうあれ、医師が手術台に向かうときのように客観的に対応することであり、そして自分の計画を沈着冷静に遂行する。

最も混乱した一大陸の、それも強大で猛禽のような隣人たちに挟まれた最悪の場所に、神はわれわれを住まわせたもうた。何世紀にもわたって、われわれは生き残るためだけに戦ってこなければならなかった。ポーランドは呪われているのではないか。どうもわれらが創造主は、われわれポーランド人に不運を与えるだけでなく、どうやっても根こそぎにできないような祖国への愛、国土と同胞、自由への愛を植えつけてしまったようだね。

ハンガリー・ブダペストはいつの時代においても、世界で最も優雅な、人を魅了してやまない都会のひとつである。
「軍隊はけっして、何があっても政治に口を挟んではならない」
「国民の軍隊であり、国民に奉仕するのであって、統治してはならないのだ」

今日、わたしたちが自由の道をたどるためには、ゲシュタポやGPUの拷問部屋、監獄や強制収容所、大量処刑のなかを通り抜けるほかないのだ。
ポーランドの運命がマジノ線やジークフリート線(仏独両国が互いに築いた防戦のための要塞線)で定まるのではないのだという点を、わたしたちは理解しなければならない。

クラフクではほかのどこよりもユダヤ人迫害が早く始まった。

レジスタンス構成員は、下記の宣言をしなければならなかった。
「わたしは全能の神のみ前にてつぎのことを宣誓します。ポーランドを占領者から解放するため、わたしに与えられた使命を忠実に、規律を守りつつ、妥協せずに遂行します。わたしは上官の命令に絶対服従し、所属する組織の秘密をけっして漏らしません」
宣誓にはかならず「神のご加護がありますことを」という言葉で締めくくられる。

「必要に迫られない限り、われわれは実力行使に出ない。私の正面に座って、視線をわたしの目からそらさぬように。頭の方向を変えるのも、視線をずらすことも許さない。わたしの質問にはただちに答えてもらう。考えてから答えるというのも許さない。あらかじめ言っておくが、矛盾する返事をしたり、きみがすでにでっち上げた話を繰り返す目的で、もしいい加減なことを言ったりするなら、きみの立場は悪くなる一方だ」
もう何十回も繰りかえされたかのように、それらの言葉は機械的に発せられた。

「名前をまだ聞いたことがないのなら、きみはその分だけ得をしたことになる。というのは、真実を吐きださせるまでは、わたしは何人にも両脚で立ってか、あるいは這ってか、この部屋から出て行くのをけっして許さないからだ。もしや成功しなかった場合、一般論だが、該当者はその顔によって身元確認できるような状態にもはやない。これは保証してもいいが、一度わたしにかわいがられたあとは、死が贅沢なものに思えるだろう。理性的になり、真実を述べるのならば、きみの命は助けてやろう。その反対なら、きみは死ぬ一歩手前まで殴られ続けられる。人間常識を超えて極度の虐待に耐えられる英雄もいるが、わたしはそういうものにまるで感動しない。今から君に対する尋問を始めようと思う」

「きみがそう答えるだろうと思っていた。最初の嘘だからご褒美はやらない、というか、まだやらない」
ゲシュタポのひとりが警棒でわたしの耳の後ろを殴った。
強烈な痛みが電流のように全身を走った。それまで味わわされた苦痛のうち、このゴム警棒による激烈な痛みに較べられるものはなかった。歯科医院でドリルが神経に触れたときのような衝撃に似ているが、そのドリルが無数にあって全身の神経を切りきざまれるようなのだ。

「気を失ったように見せても無駄だね。耳の後ろを叩くという方法は、わが国最高の生理学者による研究で生まれたものだ。ひどい苦痛を与えるというのは知っているが、失神あるいは意識に混乱をもたらすようなことはない。どんなに立派な演技をしても、科学的事実は変わらんのだよ」
警棒で殴るべき場所に関するピックの講義は、部下のゲシュタポたちにサディスティックな娯楽と映ったようで、たちまち当りは狂騒に包まれた。
「諸君、仕事にとりかかってくれ!」ピックは叫んだ。
「答えてもらわねばならんから、声は出せる程度にだぞ」

顔はもう人間のそれではなく、血まみれに腫れあがり、見るも恐ろしい仮面と化していた。
同じよう目にあったらもう耐えられないだろうと自分でもわかった。
無力であることに屈辱を感じ、わたしは憤激していた。
すべてが終わり、もう決して自由の身にはなれず、つぎの尋問を生き抜けないだろう、そして朦朧とする意識のなか、同志を裏切るという不名誉を回避するには、剃刀の刃を使って自死する道しか残されていないと思った。
人に踏みつぶされる惨めな虫けらと同じように、栄誉なき死で滅びていくのかと思うと、わたしはとてつもなく悲しくなった。

☆親衛隊もしくはSS(Schutzstaffel シュッツシュタッフェル)と呼ばれ、当初はヒトラー護衛のために創設された私兵組織。1929年にヒムラーの指揮下に入り、彼が全ドイツ警察の実権を掌握した。1940年、ヴァッフェンSS(武装親衛隊)と呼称を変えたころには40個師団を数えるまでになっていた。

苦痛がある限度を超えると、死がまるで特典のように感じられるというのを、どうしたら説明できるだろう。

「枕の下に青酸カリを隠しました。ほぼ即死すると言います。お願いですから、最悪の状況になるのが確実な場合にしか使わないでください」
毒薬は、拷問はもちろんのこと、わたしがあまりの重圧に負けて組織を裏切ってしまう可能性、つまり最も恐れていたことへの魔除けとなってくれるような気がした。毒入りカプセルをうまく隠す工夫をした。ガイドの妹がそのために持ってきてくれた湿布用絆創膏を使い、囚人が好んで隠す場所、会陰部に貼り付けた。

「あまり感謝なんかしてくれるな。われわれは2つの命令を受けていた。
1つ、あらゆる方法を駆使してきみを救出し、安全地帯に匿う。
2つ、作戦がうまく行かなかった場合、きみを始末する・・・」


読者登録

読者登録