菜種梅雨がまだ続いている感じで今日も曇天です。
明日、明後日(19,20)と春のお彼岸法座を営みます。ご講師は隣島の法珠寺様のご住職加藤円正師です。今回で二回目のご出講いただくことです。お誘い合わせてご参詣くださいませ。ご案内申し上げます。
20日のお昼には昨年ご好評だった今治「ガンバ亭」のおうどんを取り寄せますので楽しみにしてください。
広間の床に前住三智の書「微妙音」(みみょうおん)を掛けました。平成5年に前住の遺稿集として編集発行した本のタイトルとした遺墨です。子どもの私が云うのはおかしいでしょうが、このような清々しい字はなかなか書けないと慚愧することしきりです。
遺稿集『微妙音』の拙文「微妙音について」を今読み返してみると次のように記していました。
「・・・歓喜し讃嘆の声も微妙音であり、法を説く声も微妙音なのである。法が主客に相即相入して相対を微妙に超えている。受動即能動、能動即受動の世界がそこに現出している。非受動非能動の世界と云うこともできよう。聞法の場に於ける聞く者と語る者と云う関係、また上下関係が全く消え去った世界、そこにはただお名号のみがはたらいているのである。聞名が称名となりまた称名が聞名とはたらいて行く場である。そのはたらきとしての声を「微妙音」(名号)と申されているのであろう。」と、
明日、明後日(19,20)と春のお彼岸法座を営みます。ご講師は隣島の法珠寺様のご住職加藤円正師です。今回で二回目のご出講いただくことです。お誘い合わせてご参詣くださいませ。ご案内申し上げます。
20日のお昼には昨年ご好評だった今治「ガンバ亭」のおうどんを取り寄せますので楽しみにしてください。
広間の床に前住三智の書「微妙音」(みみょうおん)を掛けました。平成5年に前住の遺稿集として編集発行した本のタイトルとした遺墨です。子どもの私が云うのはおかしいでしょうが、このような清々しい字はなかなか書けないと慚愧することしきりです。
遺稿集『微妙音』の拙文「微妙音について」を今読み返してみると次のように記していました。
「・・・歓喜し讃嘆の声も微妙音であり、法を説く声も微妙音なのである。法が主客に相即相入して相対を微妙に超えている。受動即能動、能動即受動の世界がそこに現出している。非受動非能動の世界と云うこともできよう。聞法の場に於ける聞く者と語る者と云う関係、また上下関係が全く消え去った世界、そこにはただお名号のみがはたらいているのである。聞名が称名となりまた称名が聞名とはたらいて行く場である。そのはたらきとしての声を「微妙音」(名号)と申されているのであろう。」と、