盂蘭盆(うらぼん)の季節になりました。墓参で帰郷される方が目立ちはじめました。
過日8/6の広島での原爆記念式典のことが心中を駆け巡っています。孫の樹南が「平和への誓い」を申させて頂いたこともあるのですが、65年前に兄綜智(そうち)が被爆死して両親をはじめとして家族が悲嘆のどん底に落ち込んだことなどの幼少時の記憶が鮮明によみがえって来たのです。
父三智が昭和22年の日記に認めていた一文を改めて読んでみました。この一文を題して「還相の菩薩」(げんそうのぼさつ)としてみました。全文を紹介させていただきます。
還相の菩薩
第二十二還相回向(げんそうえこう)の願は欣慕の願(きんぼのがん)として味あう時、限りなくなつかしまれる。別れた子供にもう一度会いたいのは凡夫(ぼんぶ)の迷情(めいじょう)である。どこであってもいゝたゞ会いたいのである。
然し一度他界した以上いかにもだえても会うことは出来ない。こゝに還相回向の願が子供を慕う思慕の情に応じて建てられたのである。他界した子供に会う道は唯仏願(ぶつがん)に乗じて浄土往生するほかにはない。
たとえ、浄土にいなくとも還相回向の願によっていづこにでも行って、子供に会えるのである。大悲の心をもって子供に向かうことが出来るのである。
然し、聞法(もんぼう)によって本願に帰ってみればもはや子供は救済(きゅうさい)の対象ではなく、却って私の迷情を破って本願に帰せしめたところの還相の菩薩(げんそうのぼさつ)であったのである。
かくてこそ第二十二願が欣募の願(きんぼのがん)として無限の意趣をたゝえて来る。
自作短歌が添えられていて次のように詠じていました。
めぐりくるこの日は悲しされどまた涙のうちに念仏にかえる
味読して頂ければ幸甚に存じます。私としてみればこの一文は時空を超えた、60数年昔の文章ではなくて生き生きとして今の私にささやき続けてくれている心であると感じます。
画像は平和公園内の「折り鶴の塔」。全国から高校生らがおびたゞしい数の折り鶴が捧げられていました。
過日8/6の広島での原爆記念式典のことが心中を駆け巡っています。孫の樹南が「平和への誓い」を申させて頂いたこともあるのですが、65年前に兄綜智(そうち)が被爆死して両親をはじめとして家族が悲嘆のどん底に落ち込んだことなどの幼少時の記憶が鮮明によみがえって来たのです。
父三智が昭和22年の日記に認めていた一文を改めて読んでみました。この一文を題して「還相の菩薩」(げんそうのぼさつ)としてみました。全文を紹介させていただきます。
還相の菩薩
第二十二還相回向(げんそうえこう)の願は欣慕の願(きんぼのがん)として味あう時、限りなくなつかしまれる。別れた子供にもう一度会いたいのは凡夫(ぼんぶ)の迷情(めいじょう)である。どこであってもいゝたゞ会いたいのである。
然し一度他界した以上いかにもだえても会うことは出来ない。こゝに還相回向の願が子供を慕う思慕の情に応じて建てられたのである。他界した子供に会う道は唯仏願(ぶつがん)に乗じて浄土往生するほかにはない。
たとえ、浄土にいなくとも還相回向の願によっていづこにでも行って、子供に会えるのである。大悲の心をもって子供に向かうことが出来るのである。
然し、聞法(もんぼう)によって本願に帰ってみればもはや子供は救済(きゅうさい)の対象ではなく、却って私の迷情を破って本願に帰せしめたところの還相の菩薩(げんそうのぼさつ)であったのである。
かくてこそ第二十二願が欣募の願(きんぼのがん)として無限の意趣をたゝえて来る。
自作短歌が添えられていて次のように詠じていました。
めぐりくるこの日は悲しされどまた涙のうちに念仏にかえる
味読して頂ければ幸甚に存じます。私としてみればこの一文は時空を超えた、60数年昔の文章ではなくて生き生きとして今の私にささやき続けてくれている心であると感じます。
画像は平和公園内の「折り鶴の塔」。全国から高校生らがおびたゞしい数の折り鶴が捧げられていました。