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10/3に東京のひつじ書房より画像の「日本エスペラント運動人名事典」が出版されたことを新聞で知り購入いたしました。監
修は峰芳(みねよしたか)氏、編集を柴田巌(しばたいわお)後藤斉(ごとうひとし)両氏によって完成したことが記されてい
ます。640頁にもなる大変な労作であります。
エスペラント語は云うまでもなくポーランドの眼科医師ザメンホフの手によって作られた人工語のことなのですが、この発想は
言語の違いによって民族、国家間の考えの疎通、争いの絶え間のない事を憂えてのことでありました。これは125年前のことな
のですが、このエスペラント語に対する賛同者は急速に世界に広がり多くの人が学習、実用化して行ったのです。日本にも大正の
中頃に伝わり学習会が盛んに行われたのでした。
当山の前住職三智(旧姓藤原三千丸)も大正12年に学習し、生涯をエスペラントの精神で過ごしました。前住職の口癖が「最
も平和な教え仏教を最も平和な言葉であるエスペラント語で伝える」と云うことでした。第2次世界大戦中は悲しいことにエスペ
ラント運動は休止せざるを得なかったのですが、戦後、長男が広島で原子爆弾で被爆死したこともあって仏教エスペラントの活動
に身を挺して行ったように覗えるのです。
この運動人名事典には125年にわたる日本での活動された人、賛同された人など物故者2867人の方々の活動歴が記述され
ています。吉野作造、柳田國男、宮沢賢治、梅沢忠夫氏などの著名な方々のエスペラント語との関係なども記述されていて読み物
としても興味深いものがあります。
前住三智の記述は「あいうえお」順の12頁に遺稿集『微妙音』などを参照して纏められています。
編集執筆者のお一人、後藤斉氏の東北大学言語学研究室で原稿が編集されたようで陸奥に懐かしみを覚えます。
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大三島にもこんな荒涼とした景色があるのです。