万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

棟札

2007年01月05日 | Weblog
 仮本堂(庫裏)の廊下へ旧本堂の棟木に止められていた棟木を取り出して展示しております。その棟木板の墨書銘に依りますと、旧本堂の起工は明治33年正月であったことが記されています。その時の棟梁は藤田友助、肝煎相原直吉、以下6名の大工さんの名が知られます。またその時の建築委員(総代、世話人)として大内柳作、川上喜平、木村重太郎、藤田甚之助、越智磯右衛門、肝煎杉野兵助、小笠原庄兵衛の総代の名が記され続いて藤原峰吉以下藤原愛之助、相原愛治、藤田友助、相原喜代治、相原忠俊、藤高伊三治、市川林助、小笠原久之助、菅銀之右衛門、川上伊作、菅常右衛門、市川徳之助、渡辺為八、菅清兵衛、市川為助、菅半三郎、国貞八平、越智銀之助、池田直次、越智瀧三郎、酒井喜三次、越智万五郎、笠崎八五郎、藤原利七、中根勇治、小池孫七、藤原愛吉、越智八重作、越智通寿、高橋甚太郎、高橋三代助の32名の各世話人が建築委員として参画していたことが知られます。これらの方々は現住職である私がお会いした人は一人もおられませんが随分とお骨を折られたことでありましょう。その本堂は百年以上にわたって大三島岡山地区の聞法道場の中心となってきたことに甚深の感謝の念を改めて申させて頂きたいと存じます。                                            住職

 
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