万福寺 大三島のつれづれ

瀬戸内・大三島 万福寺の日記です。
大三島の自然の移ろいと日々の島での生活を綴ります。

法隆寺金堂展

2008年07月19日 | Weblog
6/18 奈良博物館で行われている「法隆寺金堂展」をやっと拝観することができました。金堂内部の法物、壁画などが展覧され巧妙なライトアップされて手の届くような至近で拝観できましたことは感激でした。このようなことを至福と申すのでしょうか。
 学生時代(昭和40年頃)仏教学会で法隆寺へお参りした折、執事の高田さんの
ご厚意で焼け爛れた金堂壁画や柱が保存されている収蔵庫を拝観させていただき涙がでるような思いに耽ったことと今回の細密に模写された壁画の全てを側で拝観できて嬉しくも残念な思いが交錯することでした。
 画像は当日買い求めた解説書の表紙に使われていた第6号壁「阿弥陀浄土図」観音菩薩図をスキャンさせてもらいました。 
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この紫色を見よ

2008年07月15日 | Weblog
風にヒョウヒョウと揺れているこの鮮やかな紫の花は
セイジの一種のようなのですが紫色が実にきれいです。
桔梗の紫はこれと比べるとおとなしくて日本的な紫だと
思いますが、このセイジの紫を見ているとなんか元気
が出てきそうな紫に感じます。
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ウエルネス校初戦突破

2008年07月15日 | Weblog
各地で高校野球選手権大会の予選が熱闘している。
既報のように大三島高校(今治北大三島校)は13
日の今治球場での試合で宇和校に5-4の接戦で残念
ながら敗退となった。よく戦った、称讃してしきれな
いものがあります。
 14日には口総にあるウエルネス校が松山中央校と
戦いなんと10-6で勝った。開校3年にして1勝は
嬉しいことでありましょう。次の健闘を期待します。

 今年植えたミニ睡蓮の第1花が今朝咲きました。
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残念 今治北大三島 4-5 宇和高校

2008年07月13日 | Weblog
本日、全国高校野球選手権愛媛県大会第3日1回戦 今治北大三島と宇和との試合がありました。熱戦となったそうですが、惜しくも4-5で破れたそうです。
今日は、お寺で法事がありましたが、その中に選手のおばあさまや、親戚の方がおられ、大変心配されていました。その方は今日なんとホームランを打たれたそうです。
破れはしましたが、大健闘された選手のみなさんに大きな感動をいただきました。

 画像は「檜扇(ひおうぎ)」柿色の可愛い花が咲きます。秋には黒葡萄のような
黒い実が沢山付いていい風情。「檜扇」の名は6、7枚の葉が檜扇のような形状と
なっているからです。
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石泉叡(せきせんえい)

2008年07月12日 | Weblog
 霊山勝海和上をお迎えする講師間の床の軸を何をお掛けしようかと
いろいろ考えて、「石泉僧叡」筆のものをお掛け致しました。(画像)
 和上はひとしきり床を拝見下さり、感慨深くこのようにおっしゃい
ました。「有難く身に余るお軸をお掛け下さり、有難うございます」
と申され、法円寺(和上のご自坊)の4代前の住職は石泉和上そして
その弟子泰巖和上の教えを受けた人でした。と、申されたのです。
 軸の落款「石泉」の次の一字を何と読むのでしょうとお尋ねいたし
ますと、「あア、それは叡です。最の字に見えますが、僧叡の叡です」
とお教えくださいました。有難し、
 読みは「天門中断して楚江を分つ」李白の詩の1節です。
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霊山勝海和上(よしやましょうかいわじょう)

2008年07月12日 | Weblog
 研修会のご講演は霊山勝海和上の深いお味わいからのご法話
を拝聴させていただきました。
 マイナス掛けののマイナスはプラスとなる法理が法然上人、
親鸞聖人によってお示し下さった道であることをお話ください
ました。
 なかなか自分自身をマイナスの存在と自覚できず、いつも自分
はプラスの側に置いていることの愚かさ、他をいつもマイナスと
して関わって常に結果はマイナスとなっている愚鈍さ、実に明解
にお説き下さいました。
 同志社大創立者の新島襄先生、良寛さん、足利源左さんらの語録
を紹介されながら分かり易く浄土真宗の他力の生き方をお説きくだ
さったのです。20数年か振りに霊山先生のご縁に遇うことが出来
本当に嬉しく有難い時間でした。
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今治組総代会

2008年07月12日 | Weblog
7/11、午後1時より万福寺本堂において今治組(いまばりそ)総代会の
総会並びに研修会が当山本堂を会場に開催され、83名の各寺の総代さん方
が集いました。
 総会行事に続いて研修。この度のご講師は元京都女子大学教授で現在勧学
職にあられます、広島県吉田の霊山勝海和上(よしやましょうかいわじょう) 
にお越しいただきました。
 画像は総会の模様
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稚児の鼻伝説

2008年07月10日 | Weblog
宝篋印塔の横に説明文を記した看板がたてられています。
大三島町時代に立てられたのですが、現在は今治市の指定
文化財に移管されました。説明文は住職が草しました。画像
が小さくて読めないかも知れませんが、
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古備前の骨壷

2008年07月09日 | Weblog
画像の壷は宝篋印塔の下から発見された壷です。
壷の内容物は火葬に附された小さな骨片が入って
いました。これらのことからこの印塔は墓として
建てられたものであること、幼少の(稚児)の骨
であることが分ったのです。「稚児の鼻」の伝説
は史実であることが裏付けられたのでした。
 そしてこの壷の検証から
①古備前の壷である。②口作りから南北朝時代の
ものである。 と、認められたのです。したがって
この宝篋印塔の作塔年代も南北朝時代と云うことが
確実となったのでした。
 稚児の為にこのような立派な石塔を建てることの
出来る人は相当の地位と財のある人でなければ出来な
いことで、私は周防の大内氏関係ではないかと考えて
おります。
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宝篋印塔(ほうyきょういんとう)

2008年07月09日 | Weblog
納骨所「四恩堂」の東隣に「宝篋印塔」が1基座って
います。この印塔は明治になるまで口総の稚児ヶ鼻海岸
に上部が倒れ波に洗われる状態になっていたものを集落内へ
移築し、明治の中頃再び当山境内へと移転し今日に至って
います。元の地名が「稚児ヶ鼻」と呼ばれていますように
この印塔は稚児の墓であると言い伝えられていました。
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