地面の目印 -エスワン-

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「数学に魅せられて科学を見失う」を読む

2024-06-30 13:54:50 | 

著者:ザビーネ・ホッセンフェルダー
訳者:吉田三知世
発行:みすず書房 2021

 スイス・ジュネーブ郊外にあるCERN(欧州原子核研究機構)に建設されたLHC(大型ハドロン衝突型加速器)により、2012年にヒッグス粒子が発見された。これにより、標準模型の最後のピースが埋まった。しかし、重力を含まないという点で万物の理論としては不十分であるし、数学的な美しさをから求められたいくつものモデルは、実験で確かめられたものはないし、そもそも実験で確かめることをあきらめたようなモデルもある。物理学の華々しい成功は20世紀の物語であり、万物の理論を求める物理学は行き詰っているのではないか。それは、数学的な美しさにあまりに拘泥するせいではないか。本当に物理学の理論を数学的な美しさを前提として考えることでよいのか。そうした疑問、疑念から何人もの超一流の物理学者を訪ね、批判的なインタビューを行い、現在の理論物理学の課題を明らかにした書である。

 素粒子物理学や宇宙論の啓発書は、こんなすごい発見が行われた、ここまで世界の成り立ちが明らかになったなどと希望的な事項が述べられることが多く、理論物理学にはこうした問題がある、間違った方向に行っているのではないか、という観点で書かれた本書はは大変印象的である。

 今でもよく覚えている2点を以下に記す。

  • 研究費を得るためには、ピアレビューで良い評価を得なければならないので、理論物理学のコミュニティでの大勢の考え方に従わざるを得ないという圧力が大きい。そのため、異端の考え方は排除され、同じような考え方の研究ばかり進められることになる。その方向の研究でよいかどうか本当はわからないのに。
  • 弦理論の歴史についてポジティブとネガティブな記述をしている。
    •  <ネガティブ面>
      • 弦理論で可能なコンパクト化は10の500乗あり、多宇宙論に導く。そのいずれかは標準模型を含んでいると期待されるが…
      • 大きな原子核同士の衝突は弦理論に基づく予測と一致しなかった。
      • 特殊な金属の振る舞いに使えると主張するが、適用する対象がおかしい。
    • <ポジティブ面>
      • 弦どうしが交換する力が重力にそっくり
      • 弦理論はいくつもあり得るがM理論と呼ばれるより大きな理論に包含される。
      • M理論によりブラックホールの熱力学に関する法則を再現できた。
      • コンパクト化された余剰次元の幾何学的形状が、カラビ-ヤウ多様体になっている。
      • 弦理論のおかげで、「モンスター群」とある種の関数との間の関係が証明できた。
      • ゲージ重力双対性の発見がなされ、ゲージ理論の計算を一般相対論を使って行えるようになった。
      • 私たちの宇宙は2次元空間に押し込めることができることがわかった(ホログラフィック宇宙論)

 以上の感想は間違った部分もあるかと思うので、関心の向きは是非本書を手に取っていただきたい。

 


「紫式部 愛の自立 光源氏・道長を栄光に導く」を読む

2024-05-19 15:23:17 | 

 

著者:石村きみ子
発行:国書刊行会 2023

 今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」を興味深く見ている。
 高校生のころから平安時代に関心があって、日本古典文学大系の「大鏡」や「栄花物語」を古書店で購入した。・・・がそのまま積読になって数十年経過した。大河ドラマを契機に「大鏡」を取り出してみたが、さすがに古文はなかなか敷居が高い。そこで講談社学術文庫の「大鏡 全現代語訳」を購入して読み始めた。「大鏡」には紫式部は出てこないので何か良い本はないかと本書を手に取った次第である。
 本書では、源氏物語のあらすじと道長、紫式部の現実での姿が交互に書き進められていて、源氏物語の全体像を時代背景の中ですこし理解できたかなと感じた。平安時代は、和歌が貴族の生活の重要な一部をなしており、物語の中でも現実世界でも和歌が重要な役割を演じている。小学生のころ、何の意味もわからず、小倉百人一首をいくつか覚えたものだが、その中の

 いにしへの 奈良の都の 八重桜 けふ九重に にほひぬるかな

という歌はとくにスッと頭に入ってきたことを覚えている。その歌が興福寺から中宮彰子に桜の献上があり、通常取り入れ役は紫式部であったが、新参の伊勢大輔に譲り、その時詠んだものだと本書に記載があった。
 このようにこれまで断片的な知識として頭の中にあったものが、本書を読むことで相互につながり、当時の貴族に様子が大河ドラマの画面と相まってイメージ化されるように感じた。勝手なイメージかもしれないが。
 ドラマでは、道長が権力のトップに立ってしまったので権力闘争という意味での面白さはないが、これから紫式部の中宮彰子のサロンでの活躍が楽しみである。それにしても源氏物語54帖の帖名はなんという美しさであろうか。
 

 


「シルクロード全史(下)」 を読む

2024-05-19 14:38:01 | 

著者:ピーター・フランコパン
訳者:須川綾子
発行:河出書房新社 2020
原書名:The Silk Roads: A new history of the world

 (下)は、17世紀位からのオランダ、イギリスの台頭あたりから始まる。大英帝国の誕生、ロシアの中央アジアへの進出やさらにはペルシャ(イラン)、アフガニスタンを経てインドにまで覗う南下政策、それを警戒するイギリスとの確執。オスマントルコの弱体化に伴う、イギリスとフランスによる恣意的な中東分割、さらには、中東で発見された石油をめぐるイギリス、ロシア、第一次世界大戦を経てイギリスに代わり覇権国家となったアメリカなど各国のせめぎあい。そこでは、ペルシャのシャーなど中東各国の政治的指導者者が中東の一般市民のことなどお構いなく、先進各国の確執を利用して私腹を肥やしていく姿。先進各国にしても自分たちに利益をもたらす政治的指導者を利用しているだけであり、一般市民のことなど念頭にないことは同様である、等々がスピーディに描かれていく。
 さらには、第1次世界大戦後、ヒトラーが台頭し、中東進出を狙うドイツ、その後の第2次世界大戦に至る話、第2次世界大戦後は、イラン革命やソ連によるアフガニスタン侵攻、サダム・フセイン、オサマ・ビン・ラディンまで中東をめぐる出来事の数々が関連性をもって語られる。
 現在のイスラエルによるパレスチナ・ガザ地区への侵攻に見られるような大規模な軍事的衝突が起きているとき以外は、中東情勢について日本ではあまり報道されることもないので、火山の噴火のように忘れたころに突然起こるように(少なくとも私には)見える中東における軍事的衝突や事件が、過去百数十年以上にわたるイギリス、フランス、ロシア、アメリカなどの自国の利益しか考えない行動と深くむずびついていることが衝撃的であった。
 付け足しの感想であるが、ヒトラー・ドイツによるホロコーストの理由についての記述が興味深かった。第2次世界大戦でドイツにとって戦況が好ましくない状況に陥ったとき、もっとも深刻な問題は食料の不足だった。このため、収容所に集められたユダヤ人の大量殺人を行ったというのである。独ソ不可侵条約を一方的に破り、ソ連に侵攻したのもウクライナの肥沃な土地を手に入れるためだった。この話を読んで、出来事の背景には思想的な理由だけでなく現実的な理由があるのだと思った。また、ロシアのプーチンがウクライナをナチと呼んでいるのにはこうした背景があるのかと思った。
 いずれにしても第2次世界大戦後の状況は複雑に絡み合っているので、本書を再読する必要があると思った。
 


 


「アインシュタインの戦争」 を読む

2024-02-11 15:01:23 | 

著者:マシュー・スタンレー
訳者:水谷淳
発行:新潮社 2020
原書名:Einstein's War

 アインシュタインは、1905年に特殊相対性理論を発表し、1915年までに一般相対性理論を完成させていた。イギリス人のアーサー・エディントンは、1919年にアフリカのプリンシペ島に遠征して皆既日食を観測し、太陽の近くに見える星からの光が太陽重力によって曲げられ、本来の位置から外側にずれることを確かめた。これにより、一般相対性理論が正しいことが実証され、一夜にしてアインシュタインはニュートンを越えた天才として有名になった。この話を当時の欧州における政治的状況と絡めて詳細に記した書物である
 1914年から1918年までは第1次世界大戦により欧州は混乱の極みにあった。科学者もその混乱に巻き込まれ、あるいは率先して参画し、対戦国間の国際的連携はほとんど不可能な状況にあった。アインシュタインが研究の拠点としたのはドイツであり、エディントンは対戦国イギリスの研究者である。そんな環境の中でどうして終戦翌年に一般相対性理論が対戦国イギリスの科学者によって立証されたのか。そこに至るには苦難の物語があった。これまで、アインシュタインは、特殊相対性理論、一般相対性理論と立て続けに発表し、天才の名を恣にしてきたと漠然と考えていたが、そこにはエディントンらによるとてつもない苦労と戦略があったことがよく分かった。
 1919年の日食観測はプリンシペ島のものが有名であるが、同時にブラジルへも観測隊が派遣され、その観測も併せて太陽重力による光の湾曲が確かめられたこと、ブラックホールで有名な一般相対性理論の初めてみつかった厳密解であるシュヴァルツシルト解は、シュヴァルツシルトが従軍した塹壕の中で書かれ、かなしいことに彼は戦争から戻ることはなかったことなど、本書は様々な興味深い話や戦争の悲惨さを示すエピソードが盛り込まれた優れた書である。

 


「シルクロード全史(上)」 を読む

2023-11-25 11:11:30 | 

著者:ピーター・フランコパン
訳者:須川綾子
発行:河出書房新社 2020
原書名:The Silk Roads: A new history of the world

 まだ(下)は読んでいないが、忘れないうちに(上)の感想を書いておく。
 歴史はヨーロッパ史、中国史など、地域ごとに高校では習ったように思う。イスラム世界や中央アジアについては、ペルシャ、サラセン帝国(今はこう言わないようだ)、セルジュクトルコ、モンゴル帝国、チムール帝国、オスマントルコなどが強大な時期について少し触れたくらいだったように思う。
 本書の書名はシルクロードであるが、東西世界の交流を細かく描いた書である。飛行機で世界のほとんどどんなところへも行ける現代に比べ、昔は限られた地理的範囲での活動が主であると考え勝ちであったが、本書を読むとはるか昔から、世界規模での交流が行われていたことがわかる。その主役はイスラム世界や中央アジアである。ヨーロッパ世界が主役に出てくるのはコロンブスのアメリカ発見やバスコ・ダ・ガマのインド航路の発見くらいからだ。
 宗教の話も詳しく語られる。今でこそキリスト教・ユダヤ教とイスラム教は対立したものとしての印象しかないが、かつては、ユダヤ教とイスラム教が連帯し、キリスト教に対抗した時代もあったし、イスラム世界がキリスト教に対しきわめて寛容であった時代もあったとのことである。ともすれば、超大国アメリカと対抗する中国、どちらかというと低迷するイスラム世界と対立するキリスト教世界などの現在の状況を固定的に考え勝ちであるが、本書を読み、長いスパンでみるとこの状況は必然的に変化するとの印象を強くした。