地面の目印 -エスワン-

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The Map of My Life を読む

2016-11-23 18:48:50 | 数学
 The Map of My Life は、数学者志村五郎氏の自伝として著名。同氏の「記憶の切繪図」の英語版と聞いていたので、英語を読むのも面倒だし、日本語の方を読もうと思っていた。が、たまたま英語版を入手できたので、試しに読んでみた。これが思いのほかおもしろい。英語は、ところどころ難しい単語がでてくるものの日本人にはわかりやすい名文である。帰りの通勤電車で読んでいたが、毎日の帰りの時間が楽しかった。
 全体的なストーリーとは関係なく、私が気になった点をいくつか書いておこう。
 
・タイトル
 まずタイトル。Mapとは抽象的な意味かと思っていた。もちろん、自分の人生を地図に見立てたとの意味ではあると思うが、冒頭に江戸切絵図の話が出てくる。氏の先祖は武士であり、その名前が牛込付近の絵図に表示されているところから話が始まる。
 
 
 
 上の地図で赤丸で囲んだ部分がそれである。切絵図大久保の図葉である。この江戸切絵図は、以下のgoo地図サイトで見られる。
  http://map.goo.ne.jp/history/edo/map/25/
 なお、江戸切絵図は、国会図書館デジタルコレクションでもいられるが、gooの方がよりきれいである。
 
・グロタンディーク
 A.グロタンディークは2年前に亡くなった20世紀最高の数学者の一人である。
 志村氏は、ちくま学芸文庫より数学啓蒙書?四部作「数学をいかに使うか」、「数学の好きな人のために」、「数学で何が重要か」、「数学をいかに教えるか」を出しているが、グロタンディークに関する記述はほとんどない。「数学で何が重要か」の「私が会った外国人数学者たち」の項の140ページに名前だけ出てくるのと、「数学をいかに教えるか」の33ページに、半分冗談めいて名前だけ書いている2か所のみである。
 本書では、グロタンディークの話が120ページに出てくる。志村氏と小泉氏の共著論文に反例があるとの手紙が来たというのである。ある条件を記述し忘れたという話で解決したとのことで、自分の論文をきちんと読んでいる数少ない一人だと感心している。一方、グロタンディークが数学界を去ってからの活動は子供じみている、ばかげていると辛らつである。
 
・セール
 J.P.セールは、代数幾何学、整数論その他で著名な大数学者である。131ページにセールとのやりとりの話が出てくるが、セールにはどうもよい印象を持っていないようである。人生の多くの時間、イライラし不機嫌だったという意見を持つに至ったとは手厳しい。
 
・ヴェイユの娘さんの抗議
 A.ヴェイユは、志村氏がパリそしてプリンストンへと羽ばたいていく機会を提供し、同地での多くの議論を通じて志村氏の数学を高めてくれた大数学者である。
 Appendix 5にヴェイユとの思い出が18ページにわたって綴られている。米国の数学雑誌に掲載された記事である。最後の方に90歳のヴェイユとの昼食の場面が描かれている。結局これが、志村氏がヴェイユと生前に合う最後の機会となったのであるが、ヴェイユの長女から、衰えた父親についての記述の部分を削除するか短縮してほしい、との要請があったが断ったとの話が出てくる。事実は事実として正確に記述するという志村氏の姿勢は見事である。一方、こんな人がそばにいたら疲れるかもしれないとも思う。
 
 

「アインシュタインの時計 ポアンカレの地図」を読む

2016-11-03 18:10:24 | 
アインシュタインの時計 ポアンカレの地図
ピーター・ギャリソン 松浦俊輔 訳
peter Galison 2003
名古屋大学出版会 2015
 
 ポアンカレは数学者、アインシュタインは物理学者として、それぞれ時代と隔絶したと思っていた。そうではなく、彼らの研究成果は、その時代の社会、その実情を深く反映し、彼ら自身もその中にどっぷり浸る中で、成し遂げられたということが、わかりにくい文章で綴られた本である。
 ポアンカレは、私の中では数学者というイメージであったが科学と方法というベストセラーを書くくらいだから物理学者としても一流だったのだろう。また、はじめは鉱山技師、のちには経度局長官を長らく務める官僚という側面もあったとのこと。彼が生きた19世紀後半から20世紀初めにかけては、時計を合わせるということが社会的な要請であった。バラバラな時間、離れた時間の差は経度差、それをどう求めるか。それは時代の先端課題であった。
 アインシュタインは、仕方なく特許局で仕事をしていたような印象を持っていたが、その仕事もしっかりやっていた。特許文書の書き方の作法、だれにでもわかるようにその新奇性をアピールするという手法が、1905年の論文にも表れているとのこと。当時、時間を合わせるということが時代の要請であったので、時間計測に関する特許がいくつも申請されており、アインシュタインはそれを担当していた。その中で時間とは何か、同時性とは何かを深く考えていったと思われる。
 純科学的な成果も世間の具体的な要請の中での仕事をとおして生まれてきたという点が印象的。昔はそうだったが、現代でも同様なのだろうか。