地面の目印 -エスワン-

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湖底の城 9巻 を読む

2019-06-16 14:55:43 | 

「湖底の城 9巻」

著者:宮城谷昌光

発行:講談社 2018年

 

P7-8 に計然と范蠡の問答の話が出てくる

「国を治める基本の方法はなんであろうか」と計然は問い、

「国民の衣食を不足させぬこと、国家の倉廩を満たすこと、このふたつでしょうか」と范蠡は答える。

これに対し、
「それは目標であって、基本ではない。百里先あるいは千里先にある物を獲るためには、歩くのか、馬車に乗るのか、船に乗るのか、それらが基本の方法である」と計然は応じ、さらに続けて、

「目的地に至るために、まず知っておかねばならぬのは、天理と地理だ。大雨になることを予測せずに、船を用意しないででかけるのは、無謀というものだ。川が涸れ、馬が斃れるほどの大旱であれば、歩くしかない。その歳がどのような天候になりやすいか、あらかじめ知っている者と知らない者との差は大きい。地理についても、同様の予備知識が要る。目的地への大小の道を丁寧に調べ、地図を作っておく。近道がかならずしも近道にならず、迂路がかならずしも迂路にならぬことくらい、たれにもわかっているが、間道をふくめたさまざまな道をあらかじめ調べておく者は寡ない」と語る。

地図の必要性について簡潔に述べている。

計然の話は、史記の貨殖列伝 第六十九 に出てくる。但しそこでは表題のとおり経済的な話で国を治める話ではない。とすると、湖底の城の話は作家の創作か。

 


アレクサンドリアの興亡 を読む

2019-01-27 15:41:15 | 
「アレクサンドリアの興亡」
著者:ジャスティン・ポラード&ハワード・リード 
日本語版:藤井留美 訳
発行:主婦の友社 2009年
 
 エジプトの都市、アレクサンドリアの盛衰を歴史上の超有名人のエピソードを紡ぎながらを描いた本である。読書前、アレクサンドリアは、マケドニアのアレクサンドロス大王が建設し、図書館で著名なくらいしか思い浮かばなかったが、アリストテレス、エウクレイデス、エラトステネス、クレオパトラ、さらには、コロンブスやニュートンまでと登場し、これまで、独立したものとしてしか認識していなかった歴史上の人物や出来事を見事に関連させてくれる興味深い読み物である。
 
 はずかしながら私が知らなかった興味深い事実(あるいは記述)をメモしておく。
 
・ソクラテスは、死刑宣告され、執行前に毒をあおって自殺した。
 
・プトレマイオス朝を開いたプロレマイオス1世はアレクサンドロス大王の部下であり、東方遠征に同行  した。大王の死後、大王が構想したエジプト・アレクサンドリアに都を建設した。プトレマイオスはギリシャ人であるため、土着のエジプト人の支持も取り付けるためギリシャとエジプトの宗教を融合させセラピス神を生み出した。なお、本書には触れられていないが、インターネットにはセラピーの語源はこのセラピス神にあるとしているものもある。
 
・エウクレイデス、エラトステネス、ヒッパルコス、ヘロン、地図で有名なプトレマイオス、ディオファントスらがアレクサンドリアを舞台に活躍した。

・エルサレムから学者を70人連れてきて、旧約聖書(モーゼ五書)をギリシャ語に翻訳。これは70人訳聖書といわれている。当時、世界のすべての書物、知識をアレクサンドリアに集めようとしていた。
 
・世界の7不思議の一つファロス島の灯台はアレクサンドリアにあり、長く存在していた(14世紀の地震で倒壊したらしい)。
 
・プトレマイオスの地理書「ゲオグラフィア」はギリシャ語の原本は失われたがアラビア語の訳本が13世紀にコンスタンティノポリスで発見され、フュレンツェ、ローマ、リスボンへ伝えられ、コロンブスが西へ向けて航海に乗り出すきっかけとなった(これは多分に著者の想像も含まれていると思う)。
 
・ニュートンは錬金術の研究も行っていた。それはもとをたどればアレクサンドリアで発達した錬金術の研究にたどり着く。錬金術とは単に非金属を黄金に変える技術というだけでなく、抽象的で難解なプロセスが背景にある。宇宙には目に見えない力が働いていて、離れたところにも作用するというのが錬金術の考え方だった。
 
・ローマ皇帝カラカラがアレクサンドリアを訪問し、青年を皆殺しにし、兵士に略奪させた。これを「カラカラの逆上」という。
 

「重力波は歌う」を読む

2017-10-07 19:37:14 | 
重力波は歌う
ジャンナ・レヴィン著

2017年のノーベル物理学賞は、LIGOによる重力波発見に貢献したレイナー・ワイス、バリー・バリッシュ、キップ・ソーンの3氏に与えられた。本書は、LIGOが軌道に乗るまでの苦難を3人の科学者、今回受賞に輝いたワイス、ソーンの両氏に加え、英国のドナルド・ドレーバー氏の活動を中心に描いた物語である。残念ながら、ドレーバーは2017年3月に永眠されたそうである。2016年2月にLIGOにより重力波が発見され、2016年のノーベル物理学賞候補にも挙げられていたそうなので、受賞が1年早ければと思わざるを得ない。
 つくばにある高エネルギー加速器研究機構では毎年9月初めころ施設一般公開を行う。2016年の施設公開で、研究者の方より重力波発見の話を聞き、それが本書を読みきっかけになった。本書を読み、2017年の受賞は間違いないと思っていたので、今年のノーベル物理学賞は私にとっても感慨深いものになった。

「アインシュタインの時計 ポアンカレの地図」を読む

2016-11-03 18:10:24 | 
アインシュタインの時計 ポアンカレの地図
ピーター・ギャリソン 松浦俊輔 訳
peter Galison 2003
名古屋大学出版会 2015
 
 ポアンカレは数学者、アインシュタインは物理学者として、それぞれ時代と隔絶したと思っていた。そうではなく、彼らの研究成果は、その時代の社会、その実情を深く反映し、彼ら自身もその中にどっぷり浸る中で、成し遂げられたということが、わかりにくい文章で綴られた本である。
 ポアンカレは、私の中では数学者というイメージであったが科学と方法というベストセラーを書くくらいだから物理学者としても一流だったのだろう。また、はじめは鉱山技師、のちには経度局長官を長らく務める官僚という側面もあったとのこと。彼が生きた19世紀後半から20世紀初めにかけては、時計を合わせるということが社会的な要請であった。バラバラな時間、離れた時間の差は経度差、それをどう求めるか。それは時代の先端課題であった。
 アインシュタインは、仕方なく特許局で仕事をしていたような印象を持っていたが、その仕事もしっかりやっていた。特許文書の書き方の作法、だれにでもわかるようにその新奇性をアピールするという手法が、1905年の論文にも表れているとのこと。当時、時間を合わせるということが時代の要請であったので、時間計測に関する特許がいくつも申請されており、アインシュタインはそれを担当していた。その中で時間とは何か、同時性とは何かを深く考えていったと思われる。
 純科学的な成果も世間の具体的な要請の中での仕事をとおして生まれてきたという点が印象的。昔はそうだったが、現代でも同様なのだろうか。