先日届いたメルマガに、感動の記事がありましたので、引用させて頂きました。皆さんも知らないという方は居られないでしょうね。もし思い出せたら、懐かしんでくださいね。
名馬中の名馬でしたね。
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●愛されつづける流星の貴公子●
「だが 目をあけても 朝はもう来ない テンポイントよ おまえはもう ただの思い出にすぎないのだ」
日経新春杯の季節がやってくるたび、テンポイントを思い出します。時代は昭和、1978年の1月22日。小雪がちらつく京都競馬場で、テンポイントは66.5キロのハンデを背負って日経新春杯に挑みました。
1ヵ月前の有馬記念で宿敵トウショウボーイを下し、海外に遠征することが決まっていました。日経新春杯は壮行レースとして使っただけで、本当なら酷量を押してまで走ることもありませんでした。それでも貴公子テンポイントは断然の1番人気という支持を受けていました。
運命の第4コーナー、テンポイントの後ろ脚が悲鳴を上げます。直線に入って鹿戸明騎手が馬上から降り、テンポイントは一歩も動けません。脚を上げて地面につけることができず、その悲壮な姿から安楽死処分になるであろうことは明らかでした。馬運車が到着し、テンポイントは雪の中を静かに運ばれていきました。
このあと予期せぬことが起こります。競馬ファンから「テンポイントを生き延びさせてほしい。テンポイントの血を残してほしい」という声が想像を超えて集まり、翌日にはスポーツ新聞だけでなく、一般紙でも大きな事で取り上げられました。それほどまでに彼は愛されていたのです。オーナーは決意します。33人の獣医師団が組まれ、テンポイントを生かすべく、大手術が行われることになりました。
手術は無事に成功しました。しかし、待っているのはツラい闘病生活でした。競走馬のか細い脚は、3本で体を支えることができません。構造上の問題や皮膚の薄さから横たわった姿勢を長く維持することもできず、テンポイントは上からベルトで吊り上げられ、治療がつづけられます。
500キロあった馬体は380キロにまで落ちました。そして、致命的ともいえる蹄葉炎(蹄に血が行かなくなって腐食していく病気)を発症し、レースから43日後にあたる3月5日の朝に息を引きとりました。テンポイントの周りはファンから贈られた千羽鶴で埋めつくされていました。
冒頭で挙げた詩は寺山修司がテンポイントに贈った惜別の詩です。詩の最後は「さらば さらば テンポイント 北の牧場にはきっと流れ星がよく似合うだろう」と締めくくられています。
美しい流星がトレードマークだった貴公子テンポイントは、北海道安平町の吉田牧場に眠っています。亡くなって30年近くが過ぎた今も訪れるファンが絶えないといいます。今年も天国から日経新春杯を見守っていることでしょう。
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これは先日送られてきたBIGLOBEのメルマガから、引用いたしました。
天国で安らかに眠るテンポイントよ、ありがとう!!!
画像はWebから、お借りしました。
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