勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

論文の読み方

2020-04-22 17:05:06 | 日記
論文の読み方
タイトルと対、目的語、本文中、まとめ

論文の内容を一言で表現するのは難しい。タイトルとイコールで結べる部分を探すのが一番簡単な方法である。タイトルを主語にしてその続き(目的語)を探す感覚である。タイトルと対になる部分は短めの文であることが多い。ここだと思う部分に線を書き込みながら読むのがオススメだ。本文中に書いてある場合やまとめの部分に書いてある場合が多い。最初は何事にも時間がかかるが、慣れると賢くなったような気になれるのでたのしい。時間がある時にぜひ挑戦してほしい。

ストレス吸収と発散

2020-04-20 10:27:25 | 日記
ストレス吸収と発散

キーワード
カラオケ、散歩、エネルギーの再点火/消費、休憩、作業効率、いい考え

私は勉強に疲れたときはカラオケやネカフェに行き、興奮しているときは散歩に出かける。どちらも気分転換には違いないが、役割が異なる。前者はエネルギーの再点火、後者はエネルギーの消費を目的として行う。集中力が切れたとき、インターバルをおいて、次の仕事に向う。これは誰でもよくやる方法である。逆にアドレナリンが巡りすぎたまま、次の仕事に向かうのは良くない。最初は集中できるのだが、すぐにぱったりやんでしまい、その後は全く続かなくなる。どちらにも休憩は必要なのである。すぐに仕事を始めようとせず、1~2時間しっかり休んだほうが良い。休憩する間、私は次に何の作業を始めるべき考える。リラックスして考えるといい考えも思いつくものである。

今から3か月ほど前までは実践していました。今はこの方法はお休みしています。

2時間学習

2020-04-19 15:58:05 | 日記
2時間学習
キーワード
2時間ごと、場所を変える、休憩時間、継続、習慣

私は毎日8時間ほど勉強する。2時間ごとに時間を区切って勉強している。院試、サークルの代表、卒論を並行して進めるためである。朝起きて2時間は院試のウォーミングアップをする。次に場所を移動して、院試の過去問を解く。喫茶店や図書館、その時の気分によって変える。卒論は図書館に行って作業をすることが多い。私の場合は研究をするときによく辞書を使うためだ。大事なことは家で作業をしないことである。気分が落ち込むためだ。場所と持っていくものを限定し、そのことだけに集中させる。例えば、院試の対策は筆記用具、裏紙、過去問。卒論はパソコンといった具合である。カバンの中を軽くできるし、ノルマを達成したときのやりがいは気持ちが良い。代表の仕事は卒論の研究が落ち着いたあとにやる。常にサークルのことについて考える時間を確保している。勉強のあとはしっかり休憩する。しかし、勉強とはストレスのたまる活動には間違いない。1日のなかに休み時間を取り入れることもまた大切なことである。私は時々、カラオケやネカフェに行ったり、散歩をしたりする。大事なことは毎日継続して行うこと環境を作ることである。なるべく1日のストレスを軽減しつつ、毎日コツコツ勉強をしてほしい。最初は大変かもしれないが、習慣として身につければしんどくなることは少ない。

和訳のすすめ

2020-04-19 15:56:46 | 日記
和訳のすすめ
キーワード
文構造の把握、後ろから前、速読と和訳の違い

私は院試に向けて勉強をしている。院試では英語が必須だ。和訳を出題している大学院が多い。長文を正確にかつ迅速に訳すコツは2つである。文の構成を判断すること、正確に訳すことだ。まずは頭から英文を読んでいき文の構成とわからない単語を把握する。わからない単語はあって当然であるし、後の文脈判断でわかる場合も多いので落ち着いて解いてほしい。次に後ろから訳していく。前置詞から始まる文節を一つのまとまりとして訳すとよい。頭から読むときに前置詞に印をつけておくことをおすすめする。最後に自分で和訳した文章を読んで自然な日本語になっているか確認する。不自然である場合は語彙力がないのではなく文の構成を間違っていることが多い。とにかく後ろから前に丁寧に訳して行くことが肝心である。焦って変な日本語にならないように気をつけなければならない。
余談であるが、よく後ろから前に訳するのは初心者だからと言って手順を抜く人がいるがそれは速読の場合に限った話である。速読の手順と和訳の手順は違うため混同してはいけない。和訳は簡単だと思いこんで実際に失敗する原因である。

「バカ」と「天才」は紙一重である。

2020-04-19 15:55:25 | 日記
「バカ」と「天才」は紙一重である。
キーワード
バカ、天才、学者、政治家、愚かさ、ゼウス(キリスト)

「バカと天才は紙一重」誰もが知っていることわざである。私はこれが学者と政治家の関係であると思っている。「バカ」とは己の愚かさを知っている者、「天才」とは己の愚かさを知らず、何でもできると思い込んでいる者である。バブル期に末は学者か大臣かと言われていたように、両者は就職ランキングNo1候補であり、もとは1つの道から派生したものである。学者と政治は決して対極に位置したものではない。しかし、対極に位置したものになりつつある。「哲人政治」ができないのはひとえに人間が己の愚かさを認めない動物だからである。そして、己の危機が迫ったとき弁を尽くして戦うか、人に罪をなすりつけて逃げるかである。学者は弁を尽くして逃げることを知らず、政治家は弁を尽くして自分で戦うことを知らない。これは両者が等しく能力があるのにも関わらず「良い人たち」に囲まれた環境と「悪い人たち」に囲まれて生活してきたがゆえである。性善説をとり、他人のために幸福を求め続けた人々と性悪説をとり、自分のために幸福を求めた人々の末路である。両者を組み合わせた者こそ、まさに全知全能の神であるゼウスであり、救世主であるキリストなのかもしれない。