勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

素直さは成長のもと

2023-06-22 12:45:24 | 日記
素直さは成長のもと
素直さは成長のもとである。現場での仕事が多くて毎回監督から怒られている。怒られると段々素直ではなくなる。私は失敗しても、次はどうしたらうまくできるだろうと考えるようにしている。もちろん、精神的に余裕がなくてむっとしてしまうこともある。私は前よりも少しだけできるようになれば、自分で自分を褒めている。監督は人を褒める努力をするべきである。山本五十六は「褒めねば人は動かない」という名言を残している。完全に素直でなくなったとき人の成長は止まる。私は素直になる努力を、監督は褒める努力をすれば、きっといい現場(職場)になると思う。

組織の変わり目

2023-06-21 10:14:53 | 日記
組織の変わり目
組織体制において運営主体がかわると組織構成もかわる。新体制ができると専用の組織ができる場合がある。何らかの理由で以前の体制が残ったまま新体制になることもある。私は大学生のとき、とある学習支援団体に所属していた。私が幹部になったとき、団体が所属する会社が変わった。当時、私は団体の運営班長をしていた。それまで運営班が文字通り組織の運営を担っており、まさに運営班長は部長であった。しかし、幹部会が運営の中心となり、運営班は教材を準備する担当の部署に留まった。私は組織の変化を察知し、当時の部長に運営班は廃止するように進言した。新しくできた幹部会と旧運営班の性格は似ており、紛らわしいからだ。おそらく、区別できていた(区別するように奔走した)のは私だけである。しかし、結局運営班は廃止できなかった。私は意思を次の運営班長にたくした。後輩の尽力もあり無事に運営班を廃止できたようである。

研究になる研究

2023-06-03 12:18:38 | 日記
研究になる研究
研究は事実を解き明かすだけではない。その底流に流れる真理を見つけることだ。真理は簡単なフレーズで説明でき、他の人から「そりゃ、そうだろう」と言われるほど一度聞いて誰もが納得するシンプルなものでなければならない。そして真理が本当に妥当かどうか検証するために色々な角度からの論文があるのだ。学者の心理としては自分で言い始めたことだから、最後まで責任を持つということだ。若い頃は表現が稚拙であり、たとえ妥当なものでも、人に伝わらず悶絶する。人に伝わらないのは、表現の問題もあるが、学会の中心にいる人たちが古い学説を信じていたり、学説のはやり廃りのなかで、その研究が注目されなかったりする。10年経てば状況が変わるというのは多々ある話である。今は信念を持って我慢するしかない。

連立方程式を通して見えるもの

2023-06-03 11:29:36 | 日記
連立方程式を通して見えるもの
私は数学が苦手だと思ってきた。数学=計算というイメージがあるからだ。しかし、受験勉強から離れてみると、実はそうではないのではと思うことがある。ここで連立方程式を例に出そう。連立方程式を見たとき、物事の心理だなと感じることがあるのだ。この方程式を解くとき、XとYの2つの文字を使う。私は卒論や修論を書いたとき、先生から誤字脱字が多いと指摘された。連立方程式は2つしか分からない部分がない。なのに解くのに一苦労である。卒論や修論の誤字脱字は2箇所どころの騒ぎではない。誤字脱字を連立方程式に置き換えると、もはや解を出せないのである。誤字脱字をけして甘く見てはならない。つまり、文系には文系の、理系には理系の伝え方があると思う。確かに文系は計算の苦手な人が多いのは事実である。しかし、計算式を通して何が見えてくるのか現実社会に置き換えて考えることはむしろ文系の得意分野ではないか。塾で計算方法をおしえるなら、学校ではその一歩先を教えるべきではないか。AIにしても然りである。いまAIは機械的に算出できるが、人間に伝わるやり方なのかは別である。人間から興味を引き出すのは人間しかできない。教員は授業のなかで生徒が興味を持つまでリードするのが理想的である。