勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

理解・分解・再構築

2022-09-11 19:38:19 | 日記
理解・分解・再構築

理解・分解・再構築は『鋼の錬金術師』でおなじみの言葉である。これは研究するときの基本的スタンスにも通じる。理解とはこれまでの研究の内容を知ること。分解とはその内容を分解して問題点を明らかにすること、再構築とは自分なりの視点に基づいて再構築することである。研究の内容を知り、これまで掲げられてきた目標に対して研究課題はどこまで到達できたのか、到達点を自分なりに読み取る。そして、研究対象の問題点の解決にもっとも適したアプローチの仕方を探す。理解・分解・再構築のなかで一番重要なのは理解である。理解・分解・再構築を一周して初めて「本当の理解」につながるのである。


これから

2022-09-10 14:04:01 | 日記
これから 
大学院卒業後、私は将来のビジョンがある。20代では発掘調査員、30代では学芸員、40代で大学の先生になることだ。私は学部生の頃、大学には史学科がなかったが、将来的に文献と考古学の両方をしたいと思っていた。まずは大学院で古代史を学び、就職してから考古学を学びたいと考えていた。私は古代史は学校で、考古学は現場で学ぶのが効率的だと思ったからだ。もちろん、古代史は就職口が少なく、考古学の方が就職しやすそうだという安直な発想もある。(今は現実にぶちあたっており、少しだけ後悔している。)考古学は考古学、古代史は古代史とわりきって考えるひとも多い。自分の分野を抜け出して他の分野に飛び込むのは労力がいる。残念ながら職場において、私は「文献崩れ」「二心あり」という目でみられている。しかし、研究者のなかに文献と考古の二刀流する人も増えてきたし、大学院で文献史学、仕事で発掘調査員という人も多い。文献と考古の壁は低くなりつつある。おそらく私が研究者として認められた頃には文献と考古を一緒にするという考えは常識となつているし、もっと新しい考え方も出てきているはずだ。まずは働きながら論文を書き、自信がついたらもう一度大学院博士課程に行ければと思っている。

組織と正当性

2022-09-10 10:02:03 | 日記
組織と正当性
正当性は組織においてとても重要な要素である。正当性は血統やそれまで就いていたポスト、カリスマ性などの表面的要素やそれまでの実績などで決まる。中にはやむを得ずして(積極的にいえば、うまく時流を掴んで)ポストに就いた者もいる。私は当時置かれた状況からやむを得ずしてサークルの会長になった。正当性の有無はその運営組織のまとまり(司令部)の強度に影響を与える。正当性のある集団は団結力がある。逆に正当性のない集団はまとまりがないため、決断力に欠ける。私は後者だった。正当性を得ようと、多くの部員から意見を聞いた。そして、あらゆる努力を惜しまなかった。結果的には正当性のようなものを得ることができた。正当性を得るためには「部員からの信頼」「同期からの信頼」「自己に対する自信」を目に見える形で実現することが必要である。部員や同期から自発的に協力させることである。そして、自己に対しては気を抜かずリラックスする(=適度に緊張感を持つ)ことが必要である。私はもう少し自分に自身を持つべきだったと考える。

会話の蛇口を開ける。

2022-09-09 09:39:07 | 日記
会話の蛇口を開ける。
会話は蛇口からでる水のようなものである。なれないうちは出し過ぎたり、少な過ぎたりする。以前は何気ない会話を楽しんでいた私も今では人と会話を避けるようになった。相手を傷つける発言をしたらどうしよう。もっと論理的に話をしたい。そう思っているうちに話すことを避けるようになってしまった。これらの問題は話しながら解決できる。今私に必要なことはたくさん話す機会を作って、たくさん話すことである。少しずつ蛇口をひねって、会話のコツ掴んでいきたい。

趣味とは何か

2022-09-04 17:34:56 | 日記
趣味とは何か
趣味がないのが悩み。そういう人は多い。ゲーム、アニメ、読書、釣りと趣味は人それぞれである。誰もが人に伝えて無難な趣味とそうでない趣味の2種類を使い分けている。なかには、人からすすめられて、なし崩しで始めたものも多いだろう。最初はより多くの友人を作るため対外的な意味で趣味を始めた。次第に自分だけの趣味がほしくなる。だから、それまでの趣味を否定して趣味がないように感じるようになった。一方で誰とも共有できないのは趣味ではないという気持ちも残った。趣味は楽しむことが一番である。矛盾した気持ちでするものではない。すなわち趣味とはやって気分が落ち着くものである。気分が落ち着くと幸せな気持ちになる。小さな幸せを得るために趣味をしているのかもしれない。大なり小なり趣味は趣味であり、必ずしも人と共有しなくてもよい。まずは身の回りの小さな幸せを見つけることから始めてみるとよい。