勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

専門家にならない。

2020-10-23 12:22:09 | 日記

以前、今後の研究の進め方についてゼミの先生と相談したときのことだ。先生から視野が狭くなりすぎていることを指摘された。分野にもよると思うが、「研究はその部分を専門的にやるのではなく、様々な分野のことに知った上で総合的にやるものだ」と指摘された。別の分野を研究するうちに自分が本来研究しているの分野に戻ってこられなくなることもある。しかし、それは自分が全体的な見通し(ビジョン)を描けてないからである。初心にもどり、自分の研究する分野が何のために役立つのか考えなければならないと思った。

考察するとは

2020-10-09 12:26:09 | 日記
考察するとは
考察するとはただ疑問に思ったことをかき連ねることではない。疑問に思ったことふまえて、自分なりに筋道たてて考えることである。そのときに具体的な史料を提示して相手を納得させなければならない。そうでなければ、筋道を立てて考察したことを証明できないからだ。つまり、相手から認められなければ、ひとつの論をたてられなかったことになる。矛盾なく説明できれば1つの「正解」である。そして、論文とはひとつの正解を導き出すための手順を説明したものといえる。論文をかくためには考察することが必須である。自分が疑問に思ったことを
考察し、それを論証できるか否かが修論に求められている力なのかもしれない。

卒論と修論の違い。

2020-10-09 12:24:33 | 日記
卒論と修論の違い。

卒論と修論の違いはなんだろうか。人によるが、卒論の内容をさらに膨らませて修論をかく人が多い。修論の方が卒論を書くときよりも比較的楽に思える。しかし実際にはそうではない。卒論は先行研究を整理して、いままでどのような史料的な位置付けをされてきたのかを明らかにしたうえで、自分の意見を述べる。意見を述べるというのは自分の思ったことや疑問点を連ねることである。修論ではそれらをもとに、自分で問いを立てて、自分でその問いが正しいのかひとつひとつ分析しなければならない。卒論の意義とは先行研究を徹底的に整理することにあると思う。そこができていなければ、修論を書くことへは進めないからだ。修論では先行研究で議論されている問題の1つ、さらにそのなかの問題の1つについて取り組んでいかなければならない。「修論を書く」とはまさに針に穴を通すような作業である。


20度変える。

2020-10-03 16:00:34 | 日記
20度変える。
以前、友人から論文を書くコツとして「180度変える必要はない。たった20度変えればよい。」と言われたことがある。最近、1つの史料の1つの言葉のニュアンスを変えることが重要だと気づいた。
コツは3つあると思う。1つ目は1つの史料しか使わないことだ。自分の研究のなかで最も重要だと思う史料を選ぶことが大切である。視野が狭くなると思うかもしれないが、より確実に論文を作成していく上では必要なことである。また、目的がシンプルであれば、論旨がブレることは少なくなる。
2つ目はその史料が引用されている論文を徹底的に探すことだ。論文(筆者)ごとに史料の位置付けは違うからだ。運がよければ、その史料の専論(その史料を中心に考察した論文)があるはずだ。専論があるからと言ってどうか嘆かないで欲しい。あくまで一個人が書いた一意見に過ぎない。史料のなかの言葉が1つでもニュアンスが変われば解釈は変わるものである。
3つ目は史料を引用した研究者の論文や著書を徹底的に読むことだ。必要な論文そのものよりも、周辺情報の方が役立つときもあるからだ。とにかく、情報を多く持つに越したことはない。また、自分と同じ史料と使う人は、自分と専門分野が近いことが多い。そこに気づくことができれば、自分の進むべき道も固まってくるはずだ。