勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

学者と俗ぽい学者

2024-01-29 11:04:52 | 日記

学者と俗ぽい学者

私はまだ学者としての夢を捨てきれないでいる。研究は続けたい、しかし大学院のような閉鎖空間にいては心の狭い人間になり、つまらない人生を送ることになるのではないかという不安もある。学者と一般人の世界は乖離している。私は自分の研究も続けたいし他者とも関わりたいと思っている。2つの世界の間にいる、私は俗ぽい学者になりたいのだ。私の理想は学者の道に軸足を置きながら、一般人の世界に行き来することである。この2つの世界を生きるには相当な根気がいる。行き来する途中で道を見失い、狂人になり果てるかもしれない。今はこのアンバランスな世界が心地よいのだ。俗ぽい学者には学者と一般人をつなぐ重要な役割がある。研究は一般人に理解されてこそ、初めて社会に還元される。社会的な関心が高まれば学者と一般人の距離も近くなるはずだ。そのとき先頭に立つのは俗ぽい学者たちである。


なぜ新羅は生き残ったのか。

2024-01-18 21:11:55 | 日記

なぜ新羅は生き残ったのか。

7世紀の朝鮮半島、高句麗、百済、新羅の3国がしのぎを削る争いをしていた。最後に勝利し、朝鮮半島を統一したのは新羅である。新羅は3国のなかで最も遅くに成立した国であり、国土は狭く豊かではない。新羅は唐と連合して高句麗や百済を滅ぼしたが、それは唐にとって新羅は国力が弱く、一番扱いやすい国だったからである。新羅は建国当初から高句麗や倭という2つの大国に挟まれていた。そのため高句麗や倭に攻められていた。新羅は倭軍と戦うときは高句麗軍を使うという巧みな戦法で生き延びてきた。唐は新羅のしたたかさを知らないがゆえに、朝鮮半島から撤退することになったのである。また新羅が急速に強くなった理由はいち早く唐の律令を導入したためである。律令は軍事面において即効性を発揮したのだ。律令と言えば行政法のイメージが強いが、もともとは占領した領地を効率よく統治するためのものである。皮肉なことに、唐は敵に塩を送り、自分の国の律令に敗北したのである。新羅が生き残った理由は新羅のしたたかさと唐の自滅にあったと言える。