勉強後記

「勉強後記」は「勉強日記」、「続勉強日記」の続編です。学生時代とは異なる目線で書いていきます。

論文の注を書く

2023-01-08 13:19:13 | 日記
論文の注を書く
先生から「注は単なる補足説明であってはならない」と教わった。注も論文の一部であり、論証するための最後の砦であるからだ。本文で主張を書くがどうしても唐突になってしまう。もちろん、本文でも主張プラス根拠を2~3点用意する。読者が本文の記述でも納得いかないときに見るのが注である。それは筆者も一緒で、注は本文中に盛り込むほどではないが最後の一押しで書くものである。もちろん、論文を書くときに様々な制約があるため、本文では難しい概念を前提に書いてしまう。そのため、概念の説明などを注で行う場合も多い。論文の注は筆者なりに読者の反応を想定して書いている。人の考え方は千差万別であり全てを網羅することはできない。ある程度初めて読む人のことを考慮しつつ、これだけは知ってほしいことを厳選している。論文を書いてみると研究者の苦労がよく分かる。


研究の3タイプ

2023-01-07 10:39:21 | 日記
新説を出す。
研究には3つのタイプがある。1つ目は新説を出すことである。新しい概念を提唱したり、誰も研究していない部分を解明することである。研究としては理想的である。2つ目は現在の研究を補足することである。現在の研究論文のなかで一番多いパターンであり、先学の研究で不足している部分を補うのが目的である。3つ目は研究史を整理して新しい問題点を探すことである。代表的なものに邪馬台国研究がある。

邪馬台国についてー卑弥呼の出身地からー

2023-01-04 17:58:35 | 日記
邪馬台国についてー卑弥呼の出身地からー

「邪馬台国はどこか」所在地を巡る議論は尽きない。具体的な検証は将来に託すとして、今回は卑弥呼の出身地に注目し、私なりの仮説(東遷説)を述べたい。
卑弥呼はイト(伊都)出身であり、邪馬台国の女王として巻向に向かい、箸墓古墳に埋葬されたのである。
まず彼女の出身地である。かつてイト国が所在した福岡県からは「漢委奴国王」の金印が出土している。金印の文字を分解すればイト(委奴)と読める。漢(後漢)とイト国は関係があり、イト国は後漢を背景に日本列島に少なからず影響力をもたらした。卑弥呼が魏に使者を送ったとき、大陸では後漢が滅び三国時代を迎えていた。イト国は後漢の後ろ盾を失い、覇権を持つ時代は終わった。
しかし、邪馬台国は大陸と関係を結ぶため、イト国を必要とした。一方でイト国も再建するため巫女である卑弥呼を邪馬台国に向かわせた。卑弥呼のあとを継いだ一与(イヨ)はイトとも読める。イトの娘(イト国出身者)とすれば、卑弥呼も一与も共通する(もちろん2人は同一人物ではない)。時代が変わってもイト国の権威はなお必要だったのではないか。
イト国などが群雄割拠する時代から邪馬台国の時代へとなり、卑弥呼は統合の象徴であった。

問題意識を持て!

2023-01-02 11:18:48 | 日記
問題意識を持て!
勉強日記を書き始めたきっかけは大学生のときに先生から「君は問題意識が薄い」と言われたからだ。いきなりノーヒントで言われて唖然とした。相手は研究者であり自分の感覚を頼りにして現在の地位まで登り詰めたのであろう。研究者とはその分野の専門家であると同時に大学教育を牽引する存在である。極端な話、問題意識さえあれば研究できる。その感覚は間違いではない。しかし、それを自分と同じように生徒に当てはめるのはお門違いというものだ。ノーヒントで研究できれば苦労はしないし、当時のそれは教員の職務放棄に他ならない。極端な話、大学教育は研究手法(論文の書き方)だけ教えれば成り立つ。問題はどうやって学生に問題意識を持つように仕向けるかだ。それが分かれば指導するときに苦労はしないと当時の先生の顔が浮かぶが、それはまさに学生からのブーメランである。大事なのは学生とともに作品(論文)をつくる心がけではないか。

10年後の抱負

2023-01-02 11:17:27 | 日記
10年後の抱負
去年は職場の人から聞かれて、自分のなかでも古代史(本来の専門)と考古学(現在の仕事)のどちらをやりたいのか問答する日々が続いた。初心に戻ると、私がやりたいことはその先にあると思い至った。私の現段階における最終目的は地元にガイドを養成することである。そのためにはまずしかるべき地位に居なければならない。先ほど地元でと述べたが、公務員専門職(私の場合は文化財)である。メリットは2つある。1つは条件付きではあるが研究を続けられること、もう1つは、他課への人事異動が少ないことである。一見すると定時で終われる(課によるが)一般職の方が良いように思われる。しかし、それは個人研究に限った話であって、研究成果を住民に還元できるわけではない。私は東大寺の大仏の周りにいる小仏のようになりたいと思っている。中心に専門家(大学教授)がいて、私は光背の十六体の小仏のようにプチ専門家として住民に伝え、住民が地元に自信を持てるようにしたい。
私は仕事柄、古代の遺跡(考古学)についての説明が多い。しかし、社会背景(古代史)まで伝えないと住民は納得しない。つまり、軸足をどちらかにおくにしても、考古学と古代史(歴史学)の両方の知識が必要なのである。さらに町づくりの観点からいえば観光学(もしくはそれに準ずる実務経験)があるに越したことはない。私は職場で自分の強みを活かして働きたい。