集落の変遷 縄文時代~奈良時代
縄文時代は狩猟採集社会である。春は山菜、夏は川魚、秋は木の実、冬は獣といった感じだ。そのため、山と川の両方に出て行けるように山と川の間の斜面地(扇状地がベスト)に住む。そして、場所を変えて季節ごとに移動するため、同じ集団がいくつもの拠点を持っている。扇状地は土砂で流されやすく遺跡が残りにくいため、縄文時代の集落を見つけるのは難しい。弥生時代から一部の地域では水稲耕作が始まり人々は定住するようになる。居住エリア、生産エリア、墓地エリアを作って生活するようになる。弥生人はクニ(地域勢力)を作り、勾玉や鏡などお互いの特異なもの(象徴)を交換しあうようになる。古墳時代は畿内のヤマト政権を中心に首長が連合する社会である。古墳時代の集落は丘陵上と斜面地で身分差を表すようになる。また、川が近くにあり、かつ水が来ない微高地に営まれた。奈良時代はコミュニティを律令(制度)のもとで管理する。制度上、国司郡司が分配するが実際はできてない。また奈良時代は条里制に沿って集落が営まれた。