♦️823『自然と人間の歴史・世界篇』カリフォルニア電力危機

2018-07-03 22:19:39 | Weblog

823『自然と人間の歴史・世界篇』カリフォルニア電力危機

 貴方の住んでいる地域で、もし人為的な理由から電力の供給が閉ざされたら、どうなるだろうか。それはあり得ないという人もおられよう。しかし、アメリカでそのような事が起きかけたことがある。
 ここでは、アメリカのカリフォルニア州で起きた、2000年から2001年にかけての、いわゆる「カリフォルニア電力危機」についての概要を紹介しよう。
 (1)としては、需要の増加があった。その背景としては、景気過熱(同州はシリコンバレーなどを抱える)や猛暑などによって電気の需要が増えた。
 (2)としては、供給のボトル・ネックが生まれていた。色々な理由により、そうなったと考えられている。まずは、建設に数年間を要し巨額の費用がかかる発電所の新規建設を控えたり、送電線が作られなかったりしたため、設備が老朽化していた。また、火力発電の燃料となる天然ガスの価格が上がったり、水力発電の基となる水が不足したりといったことが起きていた。
 それらが原因で電気の供給制約が大きくなった。対応策として、電気の需要の増加に供給が追いつかず、停電や、決められた順番で停電させていく輪番停電が行われたりした。
 (3)として、(1)と(2)により2000年半ばから電力取引市場で取引する価格(卸売価格)が高騰した。
 (4)としては、政策により小売価格が固定されていた。電力とは、ガス供給や水道といったものの類で、いわば「ライフライン」を形成しており、これを安価に供給するのは政府の責務である。
 そして(5)として、(3)と(4)によって電力会社の経営が悪くなっていった。卸売価格上昇分などを小売価格に転嫁できず、電力会社が経営危機に直面したこと。同州で電力事業を扱っていた会社は、サンディエゴ・ガス・アンド・エレクトリック、エジソン・インターナショナル、パシフィック・ガス・アンド・エレクトリックの3社。
 これらのうちサンディエゴ社は、2000年夏の1~2ヵ月の間に電力価格は、キロワット時 14セントが28セントに、さらに35セントに上がるということが、ごく短い間に起きてしまった。そのため同社は、電力の卸売価格上昇分を小売価格に転嫁して経営危機を切り抜けようとした。
 しかし、エジソン・インターナショナルとパシフィック・ガス・アンド・エレクトリックは同州内の全需要家の7~8割に電力を小売りしており、その価格が固定されているためコスト上昇分を小売価格に転嫁できず、電力を売るほど損の出る「逆ざや」状態に陥った。
 両社とも厳しい経営状況となり、電力取引所から電力を調達する資金も不足。固定小売価格のため自由な引上げによる価格転嫁ができず、自分たちがそれをかぶって、「120億ドル」(諸説あり)の損失を被る。
(6)両社については、自治体の援助なしには債務不履行となる可能性も指摘され、事実上の倒産状態(エジソン・インターナショナルとパシフィック・ガス・アンド・エレクトリック)に陥った。
 この事態を迎えて、パシフィック・ガス&エレクトリックのショーン・クーパー広報部長は、「支払う金を持っていない。債権者に対しては返済が不能になりつつあることを既に伝えた」と認める。また、価格をつり上げていた発電業者は、今度は代金未納を恐れて二社への電力販売を渋るようになり、電力不足に拍車をかけた。 
 なお、当時のアメリカでの電力自由化の法的根拠は次のとおり。
 1978年、公益事業規制政策法(Public Utility Regulatory Policies Act)、1992年のエネルギー政策法(Energy P licy Act)、そして1996年の連邦エネルギー規制委員会(FERC:Federal Energy Regulatory Commission)によるオーダー888と889(全ての電力供給者にとって送電網への公平で非差別的な接続を確保するために公布された命令ないしは規則)の公布を受け、州単位で電気事業の再編(自由化)が可能になった。
 それから、2003年1月時点では、17の州とコロンビア特別区が電力自由化を実施している。

(続く)

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