169『自然と人間の歴史・世界篇』ルネサンス(レオナルドとミケランジェロとラファエロ)
レオナルド・ダ・ビンチ(1452~1519)、ミケランジェロ・プオナローテイ(1475~1564)、それにラファエロ(ラファエッロ)・サンテイ(1483~1520)の3人は、後期ルネサンス期を代表する芸術家として、世界に広く知れ渡っている。どんな時代においても、物事のスタートには、きっかけと動機があるものだ。
まずはレオナルド・ダ・ビンチだが、「万能の天才」の異名をもつ。中でも、画家として建築家として、大業をなした人物だと評される。大作としては、「最後の晩餐」をつくった。画業は、自身が考える究極のものとなるまで、手放すことなく書き加えていたと伝わる。「モナリザ」などは、当時の人々の精神性をも伝えているかのようだ。個人としてだけではなく、レオナルド主宰による工房としても仕事を請け負っていたらしく、多くの弟子や助手を動かして、顧客からの依頼に応じていたという。
対するに、ミケランジェロも、多芸でもあるところに特色を持っていた。ざっと彫刻を中心にして、建築、それに絵画までを包含するといったところか。建築は、ローマのサンピエトロ大聖堂の設計を手掛けた。円錐状の堅固なドームは、当時の支配的な価値観を反映しているのであろうか。別人が始めた計画を引き継いだものも、数多くあるという。
わけても彫刻では、これだという石を選び、ノミをふるって、「頭の中にある対象を掘り出す」とか、「余分なものを取り除いていくことにより、彫像は完成していく」と喝破していたという。
若い時の「ダビテ」とか「ピエタ」とかは、寸分の隙間もないような作品ばかりだ。それから絵画の大きいところでは、システィーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」があり、左右対称の構図をもち、正三角形が重要な役割を果たしている。
そんな自信満々かに見えていた彼にして、88歳の時の作品といわれる「ミラノのロンダニーニのピエタ」では、イエス・キリストの亡骸を、覆い被さるような姿勢で抱いている女性は、歴史上の「生母」その人にして、長男の死に悲嘆に暮れているのであろうか。それとも、あくまで聖書伝説上の「聖母マリア」として描かれているのだろうか。
若い頃の作品のような正確無比、力強さといった類のものは、何一つとして看取できない。ありきたりのものではない、素朴な美しさというのだろうか。その頃の彼に、「私が残念に思うのは、やっと何でも上手く表現できるようになったと思う時に、死なねばならぬことだ」という述懐があって、さぞかし無念を感じていたのかもしれない。
3人目のラファエロは、中部イタリアの古都、ウルビーノ生まれの天性の画家、建築家であった。その短い生涯に、画業絵の上で実に多くの仕事を成したことで有名だ。大きなものからいうと、ローマ教皇の住所であるヴァチカン宮殿「署名の間」の壁画がある。彼は、これの作成を画業の棟梁として請け負っていた。依頼主は、なにしろ激しい気性で知られるユリウス2世であったというから、完成までには二人の間で壮絶なやり取りがあったのではないか。これを完成させたラファエロ及びその工房は、たちまちローマ画壇の寵児となったという。
このラファエロだが、めずらしいところでは、ドイツ南部の都市ニュールンベルクに住んでいた版画家のデューラーと、親しくつきあっていたという。ラファエロが描いてデューラーに贈ったという素描(そびょう)が残っているとのこと。
もうひとつ、ラファエロは晩年に弟子と一緒の絵を描いている。弟子のジュリオ・ロマーロらしき男が師匠のラファエロを親しげに振り返っているもので、自画像としてのラファエロは穏やかな表情をしている。
(続く)
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