♦️649『自然と人間の歴史・世界篇』第三次のインド・パキスタン紛争(1971)

2018-07-06 21:42:51 | Weblog

649『自然と人間の歴史・世界篇』第三次のインド・パキスタン紛争(1971)

 1971年12月、第三次のインド・パキスタン紛争が起きました。アメリカはパキスタンを支持しました。
 これより先、1970年のパキスタンの総選挙で東パキスタンの独立を主張するアワミ同盟が躍進し、国民議会の過半数を占めるに至りました。
 西パキスタンは東パキスタンに軍を派遣し、この動きを牽制しましたが、バングラ人の勢力との間で武力衝突となり、東パキスタンは内乱状態に陥りました。インドは、1971年3月から12月まで展開されたバングラデシュ独立戦争の支援に乗り出していきます。
では、なぜ当時の東パキスタンで内戦が起こり、そしてインドは何を理由に戦争へと駆り立てられていったのでしょうか。

「そもそも、これは独立の仕方そのものから発生した矛盾である。ムスリムが多数派であることを共通点として、東西パキスタンからなるパキスタンは成立したが、言語・民俗的には、東バキスタンではベンガル語を共通に使用し、西パキスタンでは、ウルドゥー語やパンジャービー語が共通に使用されていた。
 ベンガル系の東パキスタン人は、パンジャーブ系の西パキスタン人に差別的扱いを受けているとして独立を求め、その運動をインドが助けていることは公然の秘密であった。内戦が激しくなり、数百万の非難民が東パキスタン領からインドへと逃れてくると、インドは非難民受入れが困難であることを理由に、1971年12月3日、東パキスタン領に進軍し、第三次印パ戦争が始まった。」(辛島昇編「南アジア史」山川出版社、2004、450~451ページ)

 1971年12月、印度軍が東パキスタンの内戦に介入しました。アメリカは第7艦隊の空母をインド洋に派遣して、このインドの動きを牽制しましたが、インドを停戦に追い込むことはできませんでした。
 結局、パキスタン政府はインドに降伏しました。これにより東パキスタンの地域が「バングラデシュ」として独立しました。インドとの間に友好協力平和条約(Treaty of Friendship,Cooperation and Peace)を結びました。パキスタンは、これにより国土の約2割、人口の約6割を失いました。

(続く)

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