155『自然と人間の歴史・世界篇』ルネサンス(16世紀後半)
1555年には、前にダンテ・アリギエ(ー)リ(1265~1321)の遺作「神曲」初版が発刊される。その彼は、フィレンツェの貸金業の家に生まれ、長じてはその父を継ぎ同市の政治派閥の一方(白党)の重鎮となっていた。だが、1302年にはローマ教皇を抱き込んだ他方(黒党)の圧力にフィレンツェを追われる。さぞかし、無念であったらしく、それからは、イタリア各地を転々とする間に、この著述に没頭していく。
話の舞台は、地獄・煉獄(れんごく)・天国の3編からなる。これらのうち煉獄とは、カトリック教で死者が天国に入る前に、その霊が火によって罪を浄化される、その場所をいう。その体裁だが、自身が古代ローマの詩人ヴェルギリウスに導かれて地獄と煉獄を、それからベアトリーチェに導かれて天国をめぐり歩く。その間に、歴史上の人物の死後の姿に出会うという。これを大叙事詩調にて、語りかける。ダンテは、この「神曲」をラテン語でなく、トスカナ語(フィレンツェを中心とするトスカナ地方の口語)で描くことで、イタリア・ルネサンスの先駆者となった。
1559年には、ジャック・アミヨがプルタルコスの『対比列伝』(仏訳本)で「文芸のルネサンス」という考え方を示す。1561年、グイッチャルディーニにより『イタリア史』が出版される。
1568年、スペイン領ネーデルラントが独立戦争を開始する。1570年のイタリアにおいては、いわゆる神聖同盟が盟約される。これは、おりからのキプロス島の攻防をめぐってトルコと会戦していたヴェネチア共和国が、キリスト教諸国に援助を求めていた。これに対し教皇膝下のローマがスペインやイタリア諸邦に呼びかけたものである。
その翌年の1571年のレパントの海戦に、スペインの「無敵艦隊」を主力とする同盟艦隊がトルコを打ち負かした。これは、イスラム勢力の伸長に対し、キリスト教国の陣営を守った形であった。
しかしその反面、この勝利がスペインの勢力を強めたことがあり、17世紀を迎える頃のイタリアでは、ミラノ公国領、ナポリ・シチリア・サルデーニャ三王国領およびトスカーナ西南海岸がスペイン総督府の支配下に入った(詳しくは、森田鉄郎編「イタリア史」山川出版社、1976)。
1580年には、モンテーニュの『随想録(エセー)』初版本が出版される。
以上の事柄を概観するに、ルネサンス期は文芸復興に、羅針盤と活版印刷の実用化と地理上の諸発見などという外装・外観を伴っていたのである。
(続く)
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