◻️176の10『岡山の今昔』岡山人(18~19世紀、河本立軒)

2021-03-27 09:26:43 | Weblog
176の10『岡山の今昔』岡山人(18~19世紀、河本立軒)

 河本立軒(こうもとりっけん、?~1809)は、豪商、河本家の六代目。学問は陽明学や国学に及び、古物や蔵書の収集で知られる。立像の肖像画が残っていて、うっすら笑みを浮かべて見えるのは、なにかしら自信の表れであろうか。

 立軒が家督相続をした頃の河本家は、藩に献米や献金を多くし、30人扶持、惣年寄格、屋号書き下しなどの権利を与えられ、かつまた博多や函館にも支店を持っていたという。

 さて、当時の河本家といえば、元来の燃料屋に上乗せしての手広い商売のほかに、文物の収集家として全国的に知られていた。

 すなわち、彼の家は、その財力にものを言わせて文物を収集、経誼堂書院という図書館兼学校を作り、本人の死の2年後には、1811年(文化8年)の段階で4573部3万1672冊と言う、膨大な書物を集めていたというから、凄い話だ。

 あわせて、この場は、一大文化サロンの元締めでもあったらしい。浦上玉堂、斉藤一興、木村蒹葭堂、中山竹山などとの交遊が深く、浦上玉堂からは「玉堂琴」を送られているとのこと。

 なお、かくも巨大なる収集のうち、現在所在の分かるものでは、『餓鬼草紙』(国宝・東博本)、天文版「論語」、宋版「春秋左史伝」など。文庫を「経誼堂書院」といい、蔵印は「備前河本氏蔵書記」としている。松平定信の『集古十種』にも蔵品の提供をしているが、これは、一説には、寛政異学の禁で文庫の閉鎖などの弾圧をうけたとも伝わる。


(続く)

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