261の6『岡山の今昔』岡山人(20世紀、福武哲彦)
福武哲彦(ふくたけ てつひこ、1915~1986)は、教師にして、福武書店(後のベネッセコーポレーションの創業者だ。
岡山師範学校卒業後の1935年、岡山県上房郡大和村立大和尋常高等小学校(後の加賀郡吉備中央町の同学)に教師として赴任する。
その後県職員を勤める。戦後もようやく落ち着きだして1949年(昭和24年)、出版社株式会社富士出版を設立する。問題集などを取り扱う出版社だったが、1954年(昭和29年)に倒産する。
その後、福武書店をひらく。生徒手帳の印刷と年賀状の手本集を作って広めていく。それまでに、つもりにつもった構想でこの事業に打ち込んだのであろうか。
1955年(昭和30年)には、資本金50万円、社員6人で福武書店を株式会社化して再スタートした。
1963年(昭和43年)には、いわゆる通信教育である通信添削「進研ゼミ」高校講座を始める。彼の会社は、小学校や中学校の学習講座も開発していく。その後は、全国模擬試験を手掛けるなど、総合教育情報出版会社として成長させていく。
果たせるかな、1970年代からは、学術図書や絵本、雑誌など多方面の出版にも業務を拡大していく、次から次へと、頭の中に新しい事業の構想が浮かんだのかもしれない。
かといって、いわゆる「本業ばかりの堅物」ではなく、視点の柔らかさ、広さなりを兼ね備えていた。そのかなりは、社会のため、未来のための夢に根差していたのではないだろうか、美術品などの収集にも精出したという。
福武哲彦(ふくたけ てつひこ、1915~1986)は、教師にして、福武書店(後のベネッセコーポレーションの創業者だ。
岡山師範学校卒業後の1935年、岡山県上房郡大和村立大和尋常高等小学校(後の加賀郡吉備中央町の同学)に教師として赴任する。
その後県職員を勤める。戦後もようやく落ち着きだして1949年(昭和24年)、出版社株式会社富士出版を設立する。問題集などを取り扱う出版社だったが、1954年(昭和29年)に倒産する。
その後、福武書店をひらく。生徒手帳の印刷と年賀状の手本集を作って広めていく。それまでに、つもりにつもった構想でこの事業に打ち込んだのであろうか。
1955年(昭和30年)には、資本金50万円、社員6人で福武書店を株式会社化して再スタートした。
1963年(昭和43年)には、いわゆる通信教育である通信添削「進研ゼミ」高校講座を始める。彼の会社は、小学校や中学校の学習講座も開発していく。その後は、全国模擬試験を手掛けるなど、総合教育情報出版会社として成長させていく。
果たせるかな、1970年代からは、学術図書や絵本、雑誌など多方面の出版にも業務を拡大していく、次から次へと、頭の中に新しい事業の構想が浮かんだのかもしれない。
かといって、いわゆる「本業ばかりの堅物」ではなく、視点の柔らかさ、広さなりを兼ね備えていた。そのかなりは、社会のため、未来のための夢に根差していたのではないだろうか、美術品などの収集にも精出したという。
岡山県出身で、20世紀前半にアメリカで活躍した画家、国吉康雄の代表作百数点やルノワール、シャガールなどの名作を収集し、いわゆる「福武コレクション」を作っていく。それらの努力は、1986年に執務中に倒れるまで続く。
なお、福武の「岡山県の教育・文化の進展に役立ちたい」との願いに基づき、1986年(昭和61年)に公益財団法人福武教育文化振興財団が設立されているとのこと。
なお、福武の「岡山県の教育・文化の進展に役立ちたい」との願いに基づき、1986年(昭和61年)に公益財団法人福武教育文化振興財団が設立されているとのこと。
(続く)
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