土曜日になって、やっと休日モード。
1日中、ミシンと格闘していました。
ミシンとか、編み物って、音楽を聴いたり、作曲したりするには最高の環境なんです。
それにしても、リトルと通園していると、たくさんの発見があります。
先生の言葉や、園からのプリント、授業の内容には、どきっとすることがあります。
これだけたくさんの人に囲まれていながら、出会って、お話しして、1年間おつきあいをさせていただく、という巡り会いは、人生のなかでも、ほんの一握り。出会うべくして出会う、そのご縁に感謝いたします。
先生からのご挨拶。
もちろん、理屈では、わかっていることです。
でも、これを言葉にして、お話することって、なかなかないでしょう、ぐっときてしまいました。
「共に育む」
きょういく、ということが、まさに私自身に訴えてくることばでした。
自分の脱いだ靴をそろえる、気持ちのよいご挨拶をする、字を丁寧に書く、テレビはなるべくみない、砂糖害に浸らない、、、など、「しつけ」という幼児時代に学ぶべきものは、私自身に浸透していなかったことばかり。
毎週のしつけ目標は、私のために勉強することなかり
「共育」なのです。
1日中、ミシンと格闘していました。
ミシンとか、編み物って、音楽を聴いたり、作曲したりするには最高の環境なんです。
それにしても、リトルと通園していると、たくさんの発見があります。
先生の言葉や、園からのプリント、授業の内容には、どきっとすることがあります。
これだけたくさんの人に囲まれていながら、出会って、お話しして、1年間おつきあいをさせていただく、という巡り会いは、人生のなかでも、ほんの一握り。出会うべくして出会う、そのご縁に感謝いたします。
先生からのご挨拶。
もちろん、理屈では、わかっていることです。
でも、これを言葉にして、お話することって、なかなかないでしょう、ぐっときてしまいました。
「共に育む」
きょういく、ということが、まさに私自身に訴えてくることばでした。
自分の脱いだ靴をそろえる、気持ちのよいご挨拶をする、字を丁寧に書く、テレビはなるべくみない、砂糖害に浸らない、、、など、「しつけ」という幼児時代に学ぶべきものは、私自身に浸透していなかったことばかり。
毎週のしつけ目標は、私のために勉強することなかり
「共育」なのです。