音楽監督ジョナサン・ノットのマーラー交響曲シリーズ、今回は6番イ短調「悲劇的」である。前座として小埜寺美樹のピアノ独奏によるリゲティの「ムジカ・リチェルカーレ第2番」。これは三つの音だけで構成されているピアノ独奏のための小品であるが、今回はマーラーと休みなしで続けて演奏されたので、「前座」というよりも「導入」という意味があったのだろう。まず指揮者が指揮台に立つと舞台照明が落とされ、右奥にあるピアノにスポットライトが当たり独奏が始まる、そして4分程のそれが終わると全体照明に変わってマーラーの弦の刻みが始まるという次第である。この一連の音場設計に音楽的意味を感じ取れたかどうかは個人的には微妙なところだが、決して不自然とは感じなかった。しかしさりとて特段の意味が発見できたかというと、そういうわけでもないというのが正直なところである。しかしピアノだけの響きに耳を凝らすという導入の効果で、以降のマーラーの音響をも高度の集中で聞き進むことができたように自分には思われ、これにより今回は鑑賞上の収穫を得ることができたと思う。そして今回の6番の演奏であるが、それはノットとしては大人しい部類に属する。つまりノットの常である駆り立てたり、騒ぎ立てたりすることがなく、じっくりと腰を据えて曲に取り組んだという感じなのだ。これは「ノットの6番!」というイメージで臨んだ自分にとってはいささか意外なことであった。その半面、内声部というか、普段実演では目立たない音の綾が明快に聞き取れ、マーラーのオーケストレーションの見事さを今更ながらに感じることが出来た。有名なハンマーが合計5回も振り下ろされたのは、楽譜の版違いなのかどうか浅学の私には不明だが、その他にもトランペットも通常と違う音を吹いていた箇所があったように聞こえた。しかしそんなことよりも、純音楽的にマーラーの世界を描ききった今回の演奏に私は新しいノットの魅力を発見した。
ニキティン率いる東響の貢献も大きかった。とりわけ時には勇壮、時には夢見るようなホルンの響き(ソロ&トッティ)の多彩さに心打たれた。
ニキティン率いる東響の貢献も大きかった。とりわけ時には勇壮、時には夢見るようなホルンの響き(ソロ&トッティ)の多彩さに心打たれた。