ライプツィヒの夏(別題:怠け者の美学)

映画、旅、その他について語らせていただきます。
タイトルの由来は、ライプツィヒが私の1番好きな街だからです。

12月14日は、50年前に新潟から北朝鮮へ帰国船が出港した日だ

2009-12-17 21:57:38 | 北朝鮮・拉致問題


ジェーン・バーキンが13歳の誕生日を迎えた1959年12月14日は、新潟港から北朝鮮の清津に向かって帰国船第一便が旅立った日です。

それから50年もたってしまいました。

当時20歳だった人がすでに70歳です。北朝鮮の厳しい事情を考えると、この時渡航された帰国者はすでにほとんどの方がお亡くなりになっていると考えられます。その後在日朝鮮人の北朝鮮への帰国事業は、何回かの中断を挟み1984年まで継続しました。

正直、80年代まで(わずかとはいえ)北朝鮮への帰国者が存在したというのも驚きですが、ともかく彼(女)らは北朝鮮でお亡くなりになったかさもなければ今も生活しています。韓国その他に逃亡した方もいますが。

このブログで私は巣食う会荒木和博のような誇大妄想で時代錯誤の反共主義者を批判していますし、また拉致被害者家族の増元照明氏や横田早紀江さんの勘違い発言や行動も私なりに批判させていただいています。しかし、だからといって私が北朝鮮に甘いと考えられても困ります。私も北朝鮮の現状は何とかしなければと考えています。

ただ、だからといって、上にあげた人たちのように北朝鮮現体制を打倒するために何らかのアクションを起こそうとか米国に訴えようとかアホなことは考えません。そんなことは私たちの手に負える話ではないし、申し訳ありませんが、北朝鮮の方々がどんなにひどい目にあっていようと、これといって私たちに打つ手はないと思います。

こういっては身も蓋もないですが、現実問題として北朝鮮が容易に崩壊するとは思えず(周辺諸国が嫌がります)、たぶんだらだらと今のような状態が続く可能性が濃厚ではないかと(勝手に)考えます。ていいますか、ほんとに北朝鮮が崩壊したら日本にもかなり多くの人が難民としてわたってくると考えられます。そうなった場合、いろいろな意味で日本の社会は大変な困難を抱えると思います。もっともほんとにそうなったら、そんな私の心配など(言うまでもなく)関係なく、いろいろな問題が私たちを襲うことになります。

で、そう考えると、最初に出した北朝鮮への帰国者や日本人妻(日本人夫もいます)をどうするかということも考えなければならないと思います。こちらの方は本当に時間との問題です。

本来だったら、彼(女)らの中で日本への帰国を希望する人は帰国できるようになればいいのですが、それはできない相談ですので、前あったように一時帰国でもできるようになればいいと思います。これまた現状では実現はとてつもなく困難ですが、しかし不可能ではないと思います。とりあえず一旦は実現したのですから。

こういうことを書くと「そんなことを書くな」とおっしゃる方もいるでしょうが、とりあえず彼(女)らが生きているうちに実現しないとどうにもならないので、これはぜひ何とかしてほしいと思います。こういっちゃなんですが、恵まれている(らしい)平壌在住の人たちだって、医療事情や栄養事情は日本人の一般より(よほどの幹部以外は)だいぶ劣るはずですので、寿命も日本人よりは短いのは確実です。生きていても肉体の状態は良くはないでしょう。

そのような状況を何とか打破するために現北朝鮮体制を打倒するのだという方もいるでしょうが、そのような期待はするだけ無駄とまではいいませんが、あまりしないほうがいいと思います。期待しないほうが後で失望しなくて済みます。

さてさて、北朝鮮拉致問題に対して日本政府が掲げてきた6項目の対応方針のうち、「拉致実行犯の引き渡し」を求めるとする項目が政権交代後、閣議決定文書から削除されていたことが判明しました。

読売新聞の記事を引用します。

>対北方針「拉致実行犯引き渡し」削除判明
12月15日14時35分配信 読売新聞

 北朝鮮による拉致問題を巡って、日本政府が掲げてきた6項目の対応方針のうち、「拉致実行犯の引き渡し」を求めるとする項目が政権交代後、閣議決定文書から削除されていたことがわかった。

 拉致問題担当の中井国家公安委員長は「実行犯の引き渡しを求めることに変わりはない」としているが、今後の交渉で北朝鮮に妥協する姿勢を示したとも受け取れる対応に、拉致被害者家族の間には「鳩山内閣の姿勢が見えない」などと不安が広がっている。

 拉致問題を巡っては、2006年10月の政府の拉致問題対策本部の会合で、「万景峰(マンギョンボン)号の入港禁止など制裁の実施」「国連や関係国との連携」など6項目を対応方針として決定。

 このうち「実行犯の引き渡し」と、「被害者の安全確保と帰国」「拉致事件の真相究明」の3要件は08年6月、当時の町村信孝官房長官が衆院拉致問題特別委で「絶対必要な要件」と表明するなど、北朝鮮との交渉にあたって妥協できない基本線という位置づけだった。

 ところが、鳩山政権が新たな拉致問題対策本部の設置を決めた10月13日の閣議決定文書では、3要件のうち「実行犯の引き渡し」だけが削除されていた。

 先月26日の衆院拉致問題特別委では、自民党の古屋圭司議員がこの点を追及すると、中井委員長は「(姿勢が)後退したということではない。とにかく(被害者の帰国と真相究明の)二つに絞ってフル稼働していきたい」と答弁。古屋議員が「弱腰のそしりは免れない」と迫っても、「とにかく、これから頑張る」と繰り返すだけだった。

 鳩山内閣の北朝鮮政策を巡っては、小沢幹事長が先月、来日した韓国民主党代表に「拉致問題解決に束縛を受けず、日朝関係改善に結論を出さなければならない」と発言。国交正常化を優先させるのではないかと懸念する声が、政府や国会内でも出ている。

 拉致被害者家族会の増元照明事務局長(54)も「政権交代から2か月以上がたった今も、北朝鮮との交渉が始まるような動きもない。何より拉致問題に対する政府の方針が定まっていないように見え、不安を感じる」と話している。 .最終更新:12月15日14時35分


私見を述べますと、そもそも「拉致実行犯の引き渡し」なんて実現するわけもないなんてことは、まともな思考能力のある人なら誰だってわかっている話で(国交もない国の政府が、国家機密を熟知している人物を敵対国家に引き渡すわけがないじゃないですか)、はったりをやめただけで大変好ましいと私は思いますが、やっぱりそれでは納得できない人も多いでしょうね。

そんなつまらんはったりをどうこう言うよりは、とりあえずは北朝鮮でひどい目にあっている(いた)日本国籍者をなんとか可能な限り保護しなければと思います。やはり平壌に日本の利益代表部でも置く必要があるんじゃないんですかね。

とりあえず朝鮮半島の国家である朝鮮民主主義人民共和国とは、日本国はいやがおうでも付き合わなければいけないし、国交の樹立は先でも平壌に利益代表部を置くぐらいのことは可能でしょう。国交樹立前の北京にも日本の利益代表部はありましたし、キューバのハバナにだって米国は事務所を置いています。日本ができないということはないでしょう。

世の中、嫌いな国ともうまく付き合っていくことも必要です。昔の自民党政府は、ある意味北朝鮮とうまく大人の付き合いをしてきたと思いますが、拉致問題その他で吹っ飛んでしまいました。北の側の不徳の致すところではありますが、しかしそんなことを言っていても話が先に進みません。もっとも巣食う会も増元氏らも、話を先に進ませないためにいろいろなことを主張しているわけではあります。といいますか、巣食う会の関係者は、ずいぶん昔から北朝鮮は近いうちに崩壊すると主張し続けています。これについては、後日記事を書きます。

いずれにせよ、50年前、北朝鮮に向かう帰国船第一便が旅立ちました。彼(女)らのほとんどは、北朝鮮で生き続けました…。


さて、北朝鮮への帰国事業についてはこちらの本がとても参考になります。

北朝鮮へのエクソダス―「帰国事業」の影をたどる テッサ・モーリス・スズキ 田代 泰子訳



帰国運動とは何だったのか―封印された日朝関係史
高崎 宗司 (著), 朴 正鎮 (著, 原著)




ほかにもいろいろ参考になる本があります。これからも当ブログは、北朝鮮への帰国者問題も考えていきたいと思います。

2009年12月20日追記:この記事を書いたあと(中公新書の新刊を知らなかったとはうかつでした)次の本が出版されていたことを知りました。

北朝鮮帰国事業 - 「壮大な拉致」か「追放」か (中公新書)
菊池 嘉晃 (著)



さっそく買い求めました。面白かったらこのブログで記事にします。
コメント (10)
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