前回、細胞に関して簡単に書きましたが、細胞は各器官を作るパーツです。
仮に脳死を考えた場合、日本国内では議論の余地がありますが、脳が損傷を受けた場合、部分的であれば人間のパーツである各部分に障害を起こします。全障でしたら植物人間にになります。ここの所は、意見がそれぞれあり脳死は生か死かの意見があります。
部分的な損傷でしたら、人間の意識はあり正常なパーツを動かし、生きる事が出来ます。全障ですと植物人間になります。
心臓が停止すると、一般的に言われる死です。心臓が部分的に停止すると、心臓内のほかの部分で損傷を補おうと、どうにか心臓の機能が果たせる場合があります。
肺、肝臓、腎臓、他の臓器が損傷を受けると心臓の機能と違い、すぐ即死にならずある程度の日数は生きていられると思います。
各器官を作ってる元が其々の細胞でしょう。しかし細胞は前回書きましたが、再生を繰り返し人間(他の生き物すべて含む)の体を支えています。
人間が、生きようと考えなければ、死を選ぶこともできます。(これに関して授かった命を自らの手で止める行為は、「自然の摂理」からしてしては駄目ですが。)
仮に、身体の器官が動かなくても、脳が正常に作用していると、日常生活において考える力は正常人と同じです。
では、この思考能力はどこが司ってるのか?が、知りたいところであります。
前回も書きましたが、人間には性格も能力も差があります。同じ親から生まれてきても、性格や能力に差があります。
物理的には、人間の其々の器官は、其々の細胞によって作られている、と言う事が分かってきましたが、生きようとする思考が働かなければ、一つの物体扱いになり、それ相応の処分対照になります。
人間は、体を動かす為に考えます。考える力(感情、思考)を備えている人間のパーツは脳が一番近いのではと思います。しかし、脳死でも他のパーツは植物人間として生きる状態になってます。
脳が人間のすべてを司どるなら、脳が停止した直後に人間の体も停止し、植物人間にはならず勿論、各パーツの細胞も死滅します。
最近、細胞関係の仕組みが、明らかにされようとしていますが、細胞を含め各生き物の全ての生命を司る機関と言うか、司令部のようなところが解明されると素晴らしい進化に繋がるのではと思いますが、いかがですか?
是非、その方の科学が発展すれば、と思うこの頃です。