インテグリティ

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真実は

2015年11月12日 11時40分46秒 | 真実

◇ 民主主義

最近は「民主主義」と言う言葉が、頻繁に唱えられるようになってきた。

「民主主義」の語源は、ギリシャ語の(demokratia)で、demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。権力は人民に由来し、権力を人民が行使する考えとその政治形態。基本的人権、自由権、平等権あるいは多数決原理、法治主義などが主たる属性。・・辞書調べ。

最近は、沖縄の件で民主主義は?と問われる声が聞かれる。

全体を考えると、日本で行われている事は民主主義に属する。やる事が民主主義の考えで全て解決されるかと言えば、完全ではない。

上記に書いてある・政治形態・とあるように、国民が代表者を選びそれらの人達に行政を遂行してもらう。

沖縄知事選で、辺野古移設反対派の人が知事になり、沖縄を混乱させてる。(混乱させてると書いた理由は、一連の流れを無視した発言や行動を現知事、自ら行っている点である。前知事が下した結論をガラッと変え、新知事のやり方でやろうとしている点。)

沖縄に関して言えば、代表者が変わればガラッと変えていいと言う事だろう。しかし、共通する事は良い所は継承する。悪い所は改める。この考えは常識であれば代表者が変わろうと、維持される事が多い。(トンチンカンな代表者でない限り。)

確かに、現知事は移設反対を唱え当選した。(全ての選挙に共通するが、選挙でこの知事の考えに賛成しない人も多い。)

しかし、判断と言うのはその場限りで判断すると、矛盾が生ずる事が多い。特に行政に関し国家全体の考えに共通する所は。

辺野古移設の問題がそうだろう。この事は長年日本が抱えてきた問題で、現政権までの時点では「辺野古移設」が決められていた。(途中でトンチンカンな政権が、混乱させたが結局は従来通りの考えに落ち着いた。)

辺野古の問題は一連の流れを無視して、コロコロ変えていい問題ではない事は明白だろう。・・ここの所をどう判断するかである。

それと、この問題は国策で安全保障に関わる問題である。

普天間基地が危険な基地と言われ、代替の基地が辺野古だと言う結果になった。あれこれ勘案した結果の答えである。

この答えを、無視して混乱させてもいいか?と言う所だろう。

マスコミなどもこの問題を煽ってる所が多いが、前知事の下した結果を無視していいのかという問題もある。選挙の結果の民主主義だからと。

判断を下す場合、その所だけで判断すると不条理な判断が下され、正当性などは除外されかねない。正当な判断が下せないと言う事である。

どうも、現知事は物事を大局的に考えない所が伺える。全て、やる事が反対の為の反対を並べている。

自分が当選した時から、歴史が始まる位の事しか考えていない、軽い気持ちのように感じられる。自分以前の歴史は全てカットする、そんな所が伺える。

それか、日本の近くにはトンチンカンな国があり、その国の意向を受けた発言・行動にも受け取れる。

海外の報道関係は、日米の「民主主義」が為されていると、報道しているが、この報道関係などは真の民主主義を理解しているのだろうかと思う。(この報道機関に反日記者がいる事は言われているが、民主主義は単純ではない事を理解「勉強」する事である。反日だけの考えで書いているのであれば、愚かだろう。)

民主主義とは、全て(賛成・反対・状況・一連の経緯等)をひっくるめて民主主義なのである。何故かと言えば、何々主義と言う所は、人間生活に於いて自分らの考えを如何に反映させるかである。しかし、いい方向に向かわない反映は真の民主主義ではないだろう。(完全なものはないだろうが。)

人間が不幸になる政策とか、極端な考えの方向に向かう民主主義では、破滅しかないからである。(冒頭に書いた自由権でも制約がある。それは、自由の名のもとで人に迷惑をかけてまでの自由は、民主主義では認めていないからである。この事で分かるように、全ての権利でも制約がある。常識的な判断という制約がある。)

憲法や条例でも明らかにおかしい所の発言や行動は、違反だと結論が出るが、そうでないグレーの部分も含まれての民主主義である。

辺野古に関する一連の事などは、知事が変わり知事の言う通りにしないから「民主主義」が問われてるという判断は、報道関係としては、失格に思える。

それと、この問題に関して知事が変わったのだから、現知事に正当性があるなどの声も安易に言うべきではないだろう。

要するに、全ての問題を一点だけを見て「民主主義」を唱えるのは、低次元だろう。

問題は各事情を其々含んでおり、全ての問題は一列に整列できないと言う問題もあるのである。

そこの所をどうするかによって、人間の知恵が試される。それを生かさなければ、どんな法律や条例を作っても、絵に描いた餅になる。

道具と同じで、決めた事(物等など含む)が生かされないのであれば。

決めた事(法律・条例)が全てであれば、簡単に解決がつくけど。(一切の個人的な感情は入れないと言う事であれば。)

以上、上記に書いた事が理解しにくい所もあると思いますが、要は、知事が変わったから過去の状況や判断を無視する事が「民主主義」ではないと言う事です。

それを「民主主義」だ!と言う人やマスコミも「民主主義」を唱える資格がないと言う事です。

決めごとと言うのは、人間生活をいかに暮らしやすくすると言う事である。憲法も条例等などもそうである。

結論

辺野古の問題は、普天間基地の危険性の除去を最優先に考える事でしょう。今回限りで基地問題は決着させる。それ以降の問題は日本全国に分散させると言う考えではどうでしょうかね?

妥協する所も民主主義ですよ。

追記

最近、憲法も民法も提議される事が多くなって来ているが、現代の状況に即してないからだろう。基本的な事はいじらずに現代に即した臨機応変に対応する事が、現代では求められています。

 

 

 

 

 

 


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