今日はテレ朝2chで、新日本プロレスの東京ドーム大会を観た。
プロレスファンの僕にとって、1・4が新年の始まりだ。メインでオカダカズチカがIWGPを奪取。今年はオカダカ中心で回っていくのだろうと思う。いい試合ではあったが、これからはケニー・オメガ並みの好敵手が現れるのかが問われていくだろう。
さて、そんなことより、大会最初にアントニオ猪木さんのメッセージがビデオで流れた。馬場さんに言及するところが、実に猪木さんの思いが溢れている。プロレスが、力道山、馬場、猪木という歴史の流れの中にあることを、プロレスに関わる人たちはキチンと受け止めててほしいものだ。
新日本プロレスは、この20年近く猪木さんを避けてきたと思う。それが新日本プロレス50周年に当たる今年雪解けしてきたのは、1ファンとして嬉しい思いだ。
両者に距離ができたのは、プロレスと格闘技の関係をどうするのかという思想の違いである。プロレスと格闘技は違うものとする新日本プロレス。
猪木さんは格闘技を取り込もうとしていたのだと思う。例えば、プロレスに緊張感や危うさを求める猪木さんは、現状のプロレスラーにそれを求めるのが難しいと判断したのではないかと思う。
そこで格闘技選手をプロレスに組み込むことで、プロレスの怖さを表現し、プロレスを”格闘芸術”とする試みをしたのだと思う。ただ実践するのは選手であるから、プロレスと格闘技を繋げる力量のある存在がいなかった。格闘技の選手は、なんだか手加減する格闘技をプロレスだと勘違いしていたのと思う。
やっぱりアントニオ猪木の力量が必要であったのだ。ちなみにIGFという団体は、この実験場であったから、ホントに面白い団体であったと思う。
猪木さんの体調が優れていたら、ドームのリングから「1・2・3・ダー」が聞けたに違いない。そういう日が来ることを願っている。