「ジェンダーを考えることに意味があるとすれば、それはまずなによりも、ジェンダーゆえの不利益を最小限にするためである。」(「関係する女 所有する男」斎藤環著)
しごく名言だと思ったので、最初に理解しづらい言葉を置いてしまった(失礼)
男女平等なのだから中学校の更衣室は同室にすべきというのでは、女性が一方的に不利益を被るという例を著者はあげているが、そうしたことはあらゆることに広がっているし、また浸透している。
セクハラはそれが極めて言動として相手に不快感を与える場合に限定されるが、ジェンダーで捕えるとかなり広いことになる。
ジェンダーはその違いを、脳の違いとか体の性差とかそうした器質的な違いに求めるのは意味がないと著者は述べているが、私も同感。
確かに、事実としての差はあるのだけれども、また個体差もある。そして、事実が「たとえば男性とはこのようなものだという」理念へと一般化され、そうして作られた理念が、また事実を作り出していく。そのループこそが、この問題に一番特徴的としている。ここも全く共感。
著者の文脈に載っての下手な推測かもしれないが「一緒にきちんとつながっていければ大丈夫」という関係原理で部下を元気づけるのは、とても女性的であり、同時に、叱るときに「場所/状況/部下の立場」というとこの大きさをあまり意識できないのは女性ということだろう。
とすると思い当たるフシがある。
ジェンダーは人間の心的組織が構成される際に構造的必然として発生するのであり、そこのフレームを理解しておかないと、思わずのところで不意打ちをくらう。そのくらい根源的で強力なイデオロギーである。そこでの欲望の否定というアプローチは、「自分は欲望を否定することで完全に幻想を免れている」という仙人シニシズム的な別の幻想に陥る罠であるというのも明快。
他人のジェンダーを理解し、「そのようなもの」として相対化はできても、それで実生活を(欲望して)生きていくのは私。 世間と隔絶した世界で生きるわけにもいくまい(苦笑
なんであれ、ジェンダー(というより正確には、所有原理or関係性原理の欲望)につき動かされて生きていくのであるから、少し「それ」がどのようなものなのかを理解しつつ、お互いの不利益こうむり状態を少なくする努力が必要なのだと思う。
しごく名言だと思ったので、最初に理解しづらい言葉を置いてしまった(失礼)
男女平等なのだから中学校の更衣室は同室にすべきというのでは、女性が一方的に不利益を被るという例を著者はあげているが、そうしたことはあらゆることに広がっているし、また浸透している。
セクハラはそれが極めて言動として相手に不快感を与える場合に限定されるが、ジェンダーで捕えるとかなり広いことになる。
ジェンダーはその違いを、脳の違いとか体の性差とかそうした器質的な違いに求めるのは意味がないと著者は述べているが、私も同感。
確かに、事実としての差はあるのだけれども、また個体差もある。そして、事実が「たとえば男性とはこのようなものだという」理念へと一般化され、そうして作られた理念が、また事実を作り出していく。そのループこそが、この問題に一番特徴的としている。ここも全く共感。
著者の文脈に載っての下手な推測かもしれないが「一緒にきちんとつながっていければ大丈夫」という関係原理で部下を元気づけるのは、とても女性的であり、同時に、叱るときに「場所/状況/部下の立場」というとこの大きさをあまり意識できないのは女性ということだろう。
とすると思い当たるフシがある。
ジェンダーは人間の心的組織が構成される際に構造的必然として発生するのであり、そこのフレームを理解しておかないと、思わずのところで不意打ちをくらう。そのくらい根源的で強力なイデオロギーである。そこでの欲望の否定というアプローチは、「自分は欲望を否定することで完全に幻想を免れている」という仙人シニシズム的な別の幻想に陥る罠であるというのも明快。
他人のジェンダーを理解し、「そのようなもの」として相対化はできても、それで実生活を(欲望して)生きていくのは私。 世間と隔絶した世界で生きるわけにもいくまい(苦笑
なんであれ、ジェンダー(というより正確には、所有原理or関係性原理の欲望)につき動かされて生きていくのであるから、少し「それ」がどのようなものなのかを理解しつつ、お互いの不利益こうむり状態を少なくする努力が必要なのだと思う。