「裏手に回ると見事な藤が見られるから、行ってみたら良いですよ。」と、美術館にいらしていたお客さんが言はれたので、見に行ってみました。
おかげで見事な藤を、見ることができました。
馬酔木
今日は青い麦の日
麦に入ってきてから、始めてパソコンの前に座ったIwaidaさんは、かなり緊張しているようでした。
誰もが最初、パソコンを前にすると“怖い”と思うようです。
慣れない機械を前にして、もし壊したらどうしよう…。との気持ちがよぎるようです。
今回も同じ緊張を持って、パソコンの前に座ったIwaidaさんは、身体が大きく、少々強面な方です。
こちらの方が、緊張が走りました。
兎に角、パソコンを面白いと思って欲しいと思いながら、レッスンを進めました。
どうにか面白いと思ってもらえたような手ごたえがあって、やれやれでした。
今日は青い麦の日
麦に入ってきてから、始めてパソコンの前に座ったIwaidaさんは、かなり緊張しているようでした。
誰もが最初、パソコンを前にすると“怖い”と思うようです。
慣れない機械を前にして、もし壊したらどうしよう…。との気持ちがよぎるようです。
今回も同じ緊張を持って、パソコンの前に座ったIwaidaさんは、身体が大きく、少々強面な方です。
こちらの方が、緊張が走りました。
兎に角、パソコンを面白いと思って欲しいと思いながら、レッスンを進めました。
どうにか面白いと思ってもらえたような手ごたえがあって、やれやれでした。
今日は初等科のクラス会が12時から成城であり、6時半からは大船の芸術館で演劇鑑賞と忙しい一日でした。
会場の「エルベ」
駅前の桜並木。右に「成城石井」の第一号店が見えています。
成城学園前駅に着きました。
渋谷の井の頭線乗り場の近くです。
クラス会に出席するために、成城に向かって勇んで家を出たのですが、まず、横浜で東横線の乗り場が分からず、右往左往しながら渋谷に着き、次ぎに渋谷で井の頭線の改札口が分からず、ここでもたどり着くのに、時間がかかってしまいました。
横浜も渋谷も通い成れた駅でしが、ビルが立ち並びすっかり変わってしまって、迷うこと仕切りでした。
おかげで、会場の「エルベ」には、30分も送れて到着してしまいました。
皆、小田急線の沿線に暮らしている人ばかりで、横浜と渋谷で駅が分からなくなってと言っても、不思議そうな顔をするばかり…。
今回の参加者は9名でした。
その内、女性は3人。
昔から男性が3女性が1の割合でしたが、今回も同じ比率でした。
最近、うららさんが、他界されたとの報告がありましたが、病に倒れる方も居て、年々、参加者が減って行きます。
もともと少ない人数のクラスですから、仕方がないのかも知れません。
先生はご存命ですが、かなり弱っていらっしゃるとのことで、不参加でした。
芸術館では、常々、お会いしたいと思っていた、河合さんとご一緒することが出来て、充実した一日となりました。
会場の「エルベ」
駅前の桜並木。右に「成城石井」の第一号店が見えています。
成城学園前駅に着きました。
渋谷の井の頭線乗り場の近くです。
クラス会に出席するために、成城に向かって勇んで家を出たのですが、まず、横浜で東横線の乗り場が分からず、右往左往しながら渋谷に着き、次ぎに渋谷で井の頭線の改札口が分からず、ここでもたどり着くのに、時間がかかってしまいました。
横浜も渋谷も通い成れた駅でしが、ビルが立ち並びすっかり変わってしまって、迷うこと仕切りでした。
おかげで、会場の「エルベ」には、30分も送れて到着してしまいました。
皆、小田急線の沿線に暮らしている人ばかりで、横浜と渋谷で駅が分からなくなってと言っても、不思議そうな顔をするばかり…。
今回の参加者は9名でした。
その内、女性は3人。
昔から男性が3女性が1の割合でしたが、今回も同じ比率でした。
最近、うららさんが、他界されたとの報告がありましたが、病に倒れる方も居て、年々、参加者が減って行きます。
もともと少ない人数のクラスですから、仕方がないのかも知れません。
先生はご存命ですが、かなり弱っていらっしゃるとのことで、不参加でした。
芸術館では、常々、お会いしたいと思っていた、河合さんとご一緒することが出来て、充実した一日となりました。
九州の郷土料理店「有薫酒蔵(ゆうくんさかぐら)」創業者の高山亀雄さんが、15日(Pm)6時35分に亡くなられました。
そしてお通夜が18日に、門前仲町の閻魔堂で行われたので、最期のお別れをしに行きました。
98歳まで生きられた高山さんは「ほんに幸せです。自分の人生に悔いはない」と言っておられたようです。
ねじり鉢巻をした懐かしい高山さんのご遺影を前に、東京駅に在った有薫で、そして、赤坂見付けのお店で、さまざま楽しい話を聞かせて頂いたことなどが、走馬灯にように浮かんできました。
沢山の参列者が集って、高山さんとの別れを告げていましたが、大勢な方を大切にしていたことが、偲ばれる温かみのあるご葬儀でした。
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そしてお通夜が18日に、門前仲町の閻魔堂で行われたので、最期のお別れをしに行きました。
98歳まで生きられた高山さんは「ほんに幸せです。自分の人生に悔いはない」と言っておられたようです。
ねじり鉢巻をした懐かしい高山さんのご遺影を前に、東京駅に在った有薫で、そして、赤坂見付けのお店で、さまざま楽しい話を聞かせて頂いたことなどが、走馬灯にように浮かんできました。
沢山の参列者が集って、高山さんとの別れを告げていましたが、大勢な方を大切にしていたことが、偲ばれる温かみのあるご葬儀でした。
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