一斉に花が咲き始めました…。
東京駅は北陸新幹線の開通にともなって、大変な混雑振りでした。
偶然、お初の新幹線に乗って高崎に出発です。
多くのカメラマンに見送られて~~
「行ってきます。」
スカイツリーの展望台から浅草寺が見えました。
曇空でしたが、隅田川も良く見えました。
今回の「青い麦の家」の旅行は、東京スカイツリーと九十九里への一泊の旅でした。
スカイツリーの展望台からは、雲り空の下 うっすらと 浅草寺が見えていました。
1945年3月10に、東京大空襲で浅草が焼けてから、今年で70年になります。
私の生まれた所は、浅草の駒形で、「どぜう屋」さんの隣に、生家がありました。
残念なことに大空襲で消失しています。
関東大震災と東京大空襲の二度にわたり、浅草の家は被害にあって、そのたびに家が壊されたので、遂に戦争を境に、下町での暮らしを断念して、私は、世田谷に移り住んで、学生時代を過ごしています。
その時から、70年が過ぎています。
浅草の上空から 町並みを眺めることが出来るようになるとは、夢にも思っていませんでしたから、感無量でした。
「麦」の皆さんと一緒に、貴重な体験が出来た事も、何より嬉しいことです。
嬉しいと思う反面、所狭しと立ち並ぶ、ビル郡と家々を眺めて、又、地震が起きたら…。と、不安がよぎりましたが、立ち並んだビルを、今更どうすることも出来ませんから、ただただ、災害が来ないことを願うのみです。
もう一度行って、今度は、戦争で焼けるまでの間 住んでいた、駒形近辺の写真を、沢山、写して来ようと思っています。
もしかしたら、既に他界した祖母と同じ目線で、浅草の街を見下ろす事ができるかも、知れません。
展望台から改めて浅草の町を見下ろして、戦後の復興振りを体感し、人の力の凄さを知りました。
これほど広い範囲を眺めることが出来るように成るとは、思っても居なかったので、そのことでも感無量になりました。
感激ついでに、その晩 宿泊した千葉の白子のホテルで、生きている伊勢エビと生きているアワビが並んだ食卓も、旅行に彩りを添えていました。
常々、病を抱えながら頑張って生きている姿に、感銘を受けていますが、皆さんと一緒に旅行が出来る喜びは、何にも増して幸せなものです。