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エドガー・ドガ 【My Favorite Artist Vol.7】

2013-10-28 | 絵画

自ら「現代生活の古典画家」と称したフランスの印象派
画家、エドガー・ドガ(1834-1917)について、調べた事を
日記にしました。

1834年、パリの銀行家の長男として生まれる。
「ドガ」(de Gas)という貴族風の苗字を持つが、ドガ家は
フランス革命後に勢力を伸ばした新興ブルジョワで、ドガ
が生まれた頃にはさほど裕福ではなかったらしい。
最初、法律を学ぶが21歳から画家に転向。

                   「画家の肖像(木炭ばさみを持つドガ)」1854-55年作品。オルセー美術館 (パリ) 所蔵

                 

1855年、名門エコール・デ・ボサール(官立美術学校)に
入学し、新古典主義の巨匠アングルの弟子で線描の
信奉者ルイ・ラモットに師事した。デッサンの大切さを説か
れ、終生デッサンを続けた。

1856年から三年間、イタリアにいる叔母ラウラの家に
滞在、この時ルネサンス芸術や北方ルネサンス様式に
触れ、巨匠たちの作品から古典的な画面構成や技法を
学び、模写・研究をおこなった。帰国後は重厚な歴史画
や肖像画を描いていた。

                                  ベレッリ家の肖像1856-1860年 オルセー美術館(パリ)所蔵

1865年以降は競馬、踊り子、音楽家、洗濯作業する女性、
カフェの情景、入浴する女性など、いわゆる「近代生活」
をテーマにして、鋭い線描と鮮やかな色彩で描くように
なった。この頃、マネと知り合っている。

                       競馬場の馬車(プロヴァンスの競馬場) 1869年頃 ボストン美術館所蔵

1874年に銀行家の父が死去し、長男であったドガは莫大
な借金をかかえ、返済のために家や財産などを売却して
いる。

1874年以降に開かれた全8回の印象派展のうち、7回
出品しているが、他の印象派の画家たちとは明らかに
異なり、戸外の光のもとで制作するよりも、屋内で人物
を描くことを好んだ。純粋な風景画は決して多くない。
ドガの興味は、人物や馬が見せる瞬間の動きにあり、
それをカンヴァスに再現するために、デッサンを繰り返し、
また浮世絵から学んだクローズ・アップやスナップショット
などの手法を積極的に絵画に応用した。

          手袋をした歌手(カフェの歌手) 1878年頃 マサチューセッツ、ケンブリッジ、フォッグ美術館所蔵

                 

30代半ばに普仏戦争に従軍した頃から目を悪くし、その
ためもあって1886年の第8回印象派展を最後にほとんど
作品を一般に公開していない。目の衰えがひどくなると
油絵を放棄してパステルに専念し、蝋や粘土による彫刻
の制作を始めている。晩年は視力の衰えもあり、踊り子、
馬などを題材とした彫刻作品も残している。それらはドガ
の死後にアトリエから発見されている。70歳になる頃には
ほとんど目が見えなくなり、最晩年の十数年間は制作も
思うようにならなかったという。
1917年、ドガは83歳でひっそりと息を引き取った。

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 

線描を重視し、大胆で奇抜な構図や対象の瞬間を鋭く
捉える優れた観察眼で、初期には歴史画や肖像画、
発展期から円熟期には競馬、舞台、踊り子など都会的
なモティーフや、日常生活に見られる光景などを描いて
います。特にバレエの踊り子と入浴する女性を題材に
した作品が多く、彼女らの一瞬見せる何気ない動作を
永遠化する素描力は秀逸です。

・・・バレエ作品が多いのは?

パリの銀行家の息子として生まれたエドガー・ドガは、上流
階級の社交としてオペラ座の定期会員となり、バレエの稽古
場や楽屋に自由に出入りして、踊り子・バレリーナたちの練習
風景をつぶさに観察し自らの絵画作品としました。
当時のフランスには、まだクラシック・バレエやモダン・バレエ
が紹介されておらず、ロマンチック・バレエの時代で、ドガの
作品のバレエ風景はすべてロマンチック・バレエの風景と
なっています。
ドガがバレエ作品に熱意を向けていたことは後世のオペラ
座でも評価されており、ドガの彫刻「14歳の小さな踊り子」
をモティーフとしたバレエ作品を2003年に初演しています。

                            ダンス教室(バレエの教室) 1875年頃  オルセー美術館(パリ)所蔵

         

                  踊りの花形(エトワール、又は舞台の踊り子) 1878年頃 オルセー美術館(パリ)所蔵

   

※ドガの有名な絵画を動画にアップしました。


小磯良平画伯 【My Favorite Artist Vol.6】

2013-10-20 | 絵画

神戸市出身の小磯良平画伯(1903-1988)は、日本の近代洋画界を代表する画家

としてあまりにも有名。肖像画、特に群像を多く手がけたことで知られています。

以前に小磯良平画伯の絵画『斉唱』などの実物を観覧した時の感動が忘れられず、

小磯良平画伯の事を調べ記録しておくために日記にしました。

 

【小磯良平画伯の経歴】

明治36年7月25日、神戸市に生まれる。

当時の神戸は、外国貿易の窓口となっていた旧外国人居留地を中心に発展しており、

小磯は洋館が立ち並ぶ街で自然に「西洋的な空気」を吸って幼年期を送りました。                               

クリスチャンの家庭で育ち、鉛筆と紙を与えておけば黙々と絵を描いて飽きることが                              

なかったと言われています。

 

兵庫県立第二神戸中学校(現 兵庫高校)に進学し、生涯の親友となった竹中郁と出会                           

います。のちに神戸を代表するモダニスト詩人となる竹中の影響もあり小磯の心の眼は                          

ヨーロッパに向けて開かれました。大正10年、倉敷へ一緒に出かけ大原コレクションを

公開した「現代フランス名画家作品展覧会」に感動を覚え、画家への志しを強めます。

 

大正11年、東京美術学校(現東京芸術大学)の西洋画科に入学し、大正14年の                        

第6回帝国美術院美術展覧会(帝展)に出品した『兄妹』で初入選を果たし、翌年には                            

『T嬢の像』が特選に輝きます。当時、美術学校では出品を禁じていましたが23歳の画学生                      

が描いたとは思えない完成度の高さを誇るこの作品で画壇に鮮烈なデビューを果たしたのです。

 

                               『T嬢の像』 

                      

 

昭和2年、規定課題の『自画像』と竹中郁をモデルにした『彼の休息』の2作品で98点という最高

得点をとり首席で卒業。

 

                                『自画像』

         

 

                                『彼の休息』

              

 

卒業の翌年、小磯は念願であったフランス留学に出発し、一足先に到着していた竹中と                    

ともに2年間ヨーロッパを遊学します。絵画技法の習得よりも、各地の美術館をめぐり、アングル、                

コロー、クールベ、マネ、ドガなどの巨匠達の作品を鑑賞することに熱心でした。

ルーブル美術館のパオロ・ヴェロネーゼの『カナの婚礼』に衝撃を受け、群像表現を極めることを        

生涯のテーマと決めたのもこの頃だと言われています。

留学中には劇場で踊り子たちの舞う姿を楽しみ、クラシックの音楽に耳を傾けたようです。

 

                     パオロ・ヴェロネーゼの『カナの婚礼』

 

昭和13年から1年間、陸軍省嘱託の身分で従軍画家として中国に渡り、帰国後戦争画を製作。         

昭和16年に群像画の傑作『娘子関を征く』と『斉唱』を相次いで発表。小磯は群像を書くため           

精力的に戦争画に取り組んだが、戦後は画集に収録しなかった。戦意高揚のために戦争画を          

書いてしまったことに心が痛むと晩年に語っています。

 

                              『娘子関を征く』

             

 

                                  『斉唱』                   

                            

 

戦後も精力的に絵筆を振るい始めます。優れた素描力を十分に生かしながら、「欧州絵画の           

古典的な技法を日本の洋画に根付かせる」ための研究を根気強く続け、独自の画境を開く            

ことになります。東京芸術大学教授などを務めて後進の指導にあたり、定年退官後も迎賓館           

大広間の壁画『絵画』『音楽』を制作するなど長きにわたり日本の洋画界に大きく貢献しました。

平成4年に創設された「小磯良平大賞展」は国内最高賞金の公募展として知られています。

 

     平成4年11月に神戸市立小磯記念美術館が、緑豊かな六甲アイランド公園内に開館されました。

    

 

小磯良平画伯は親しみやすい女性像を中心としながら、西洋絵画の伝統の中に、市民的でモダンな         

感覚と気品あふれる画風を完成した画家でした。

 

※小磯良平画伯の作品を鑑賞できる動画を作成しました。

 


クロード・モネ 【My Favorite Artist Vol.4】

2013-09-14 | 絵画

大好きな画家、クロード・モネについて調べてみました。

 

まず、印象派【Impressionism】とは、

19世紀後半にパリで伝統的なアカデミー様式と対立した画家らによる前衛芸術運動。

陽光の輝きの探求するために戸外制作をおこなうほか、日常生活で生まれた余暇を

過ごす人々やガス灯による夜の情景など当時の近代性を心象そのままに表現。

細く小さな筆勢によって絵具本来の質感を生かした描写技法≪筆触分割(色彩分割)≫

を用いて対象を表現する【印象派】、光学理論や色彩論に基づき色彩分割の科学的な

体系化を試みた【新印象派】、それらの影響を受け(時には否定し)ながら独自の表現

様式へと発展させた【後期印象派】の3つに分類されます。

(代表画家:マネ、ドガ、モネ、ルノワール、ピサロ、モリゾ、スーラ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ等) 

 

 

クロード・モネ(Claude Monet,1840年11月14日- 1926年12月5日)は、印象派を代表する

フランスの芸術家で、「光の画家」の別称があります。印象派の中でも最もその方向性に忠実であった

とされています。時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家でした。

モネは印象派グループの画家のなかではもっとも長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ

多数の作品を残しています。モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の

画家でした。 

 

※クロード・モネの経歴

1840年 パリ、ラフィット街に生まれる。その後、ノルマンディ地方のル・アーヴルに転居。幼少の頃から

絵の技術は際立っており、文房具店の店先に絵画を置いてもらったことも。

 

1857年 フランソワ=シャルル・オシャールから絵の指導を受ける。翌年には風景画家のウジェーヌ・

ブーダンと出会い、野外制作に連れ出されるうちに影響を受け、その後の方向性を見出すことになった

と考えられています。

 

1859年 パリに移り、トロワイヨンらに教えを受ける。1860年にアカデミー・シュイスに入学しピサロと

知り合っています。兵役も経験しており、1862年にはシュルル・グレールのアトリエに入っています。

個々では、ルノワールやシスレー、バジールと面識を得ています。

 

1865年 サロンに2点の作品初出品。両方ともに入選。その2年後に長男が生まれるものの家族から

反対され、正式に結婚したのはその3年後でした。

 

1870年 カミーユと結婚。普仏戦争の際には、兵役を避けるためにロンドンに移っています。9月から

翌5月まで滞在しており、風景画の先駆者であるターナーやコンスタブルの作品の研究を行っています。

その後はオランダに数ヶ月泊まった後、パリに戻り、数ヶ月後の1871年にはアルジャントゥイユに移住

しています。

 

1874年 ルノワールやピサロ、シスレー達と前年に結成していた「芸術家、画家、彫刻家、版画家その他

による匿名協会」の活動として第1回印象派展を開催し『印象、日の出』を出品。この絵画から後に印象派

と名づけられました。以後、第3回印象派展まで出品。

 

1883年 ジヴェルニーに移り、そこで水の庭や花の庭を作りました。絵画だけではなく、庭作りの才能も

認められていただけあって、観光名所となっています。モネ自身も、庭について最高傑作であるという旨

の発言をしていたとされています。やがては睡蓮のモチーフとなった場所です。

 

1886年 オランダ旅行へ

 

1891年 「積み藁」連作を発表

 

1895年 「ルーアン大聖堂」連作を発表

 

1899年-1901年 イギリスに滞在。制作活動も

 

1926年 「睡蓮」のシリーズを制作しつつ、ジヴェルニーにて死去

 

1927年 オランジェリー美術館で「睡蓮」の連作公開

 

代表作として圧倒的な知名度を誇る睡蓮ですが、クロード・モネの名作はそれだけではありません。

一例として、積み藁、ポプラ並木、揺りかごの中のジャン・モネ、ルーアン大聖堂の連作や印象・日の出、

サン=ドニ街、ラ・ジャポネーズ、緑衣の女性、サン=ラザール駅、並木道(サン=シメオン農場への道)、

草上の昼食、王女の庭園、サンタドレスのテラスといったものがあります。 又、タイトルにアルジャントゥイユ

が含まれているものも多く、「アルジャントゥイユの鉄道橋」(フィラデルフィア美術館)、「アルジャントゥイユ

の橋」(オルセー美術館)、「アルジャントゥイユのひなげし」(同美術館)といったものが代表的です。

この土地がいかに画家にとって魅力的であったかがよく分かります。

晩年にかけては連作が多くなり、睡蓮も数多く描かれることになりました。

睡蓮という同じモチーフを用いながらも、時間や光線が変わることによって別の印象になっています。

1890年代の終わりから制作が始まった一連の作品で、ジヴェルニーの自宅の庭の池を描いています。

その数は200点以上にのぼります。睡蓮は大部分がモネの庭にあった池を描いていますが、庭園技師

さながらにこだわった彼は、他にも自宅の庭をモデルにした作品を残しています。その一つが、ワシントン・

ナショナル・ギャラリーに収蔵されているダリアの咲く道です。  

1926年に亡くなるまで、彼は数多くの絵画を残しました。

 

草上の昼食(習作) 1865年 プーシキン美術館(モスクワ)所蔵

 

揺りかごの中のジャン・モネ 1867年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

サンタドレスのテラス(海辺のテラス) 1867年 メトロポリタン美術館所蔵

 

かささぎ 1869年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

ラ・グルヌイエール 1869年 メトロポリタン美術館所蔵

 

印象 -日の出- 1872年 マルモッタン美術館(パリ)所蔵

 

アルジャントゥイユのモネの家の庭(ダリアの咲く庭) 1873年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

アルジャントゥイユの橋 1874年 オルセー美術館(パリ)所蔵

  

赤い頭巾、モネ夫人の肖像(窓に立つカミーユ・モネ) 1873年 クリーヴランド美術館所蔵 

 

散歩、日傘をさす女性 1875年 ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

ラ・ジャポネーズ1875-1876年 ボストン美術館所蔵

 

ヴェトゥイユの画家の庭園 1880年(1881年) ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

 

プールヴィルの断崖の上の散歩 1882年 シカゴ美術研究所 所蔵

 

戸外の人物習作(右向きの日傘の女) 1886年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

戸外の人物習作(左向きの日傘の女) 1886年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

舟遊び(ノルヴェジエンヌ号で) 1887年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

ジヴェルニーの積みわら、夕陽 1888-1889年 埼玉県立近代美術館所蔵

 

積みわら、冬の効果 1891年 メトロポリタン美術館所蔵

 

睡蓮の池、バラ色の調和(太鼓橋) 1900年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

モネの家の庭、アイリス 1900年 オルセー美術館(パリ)所蔵

 

睡蓮 1914-1917年 マルモッタン美術館(パリ)所蔵

 

睡蓮 1916年 国立西洋美術館(東京)所蔵

 

You Tube にもアップしました。 

※印象派 クロード・モネ 絵画 第一集

クロード・モネの1864年~1886年までの作品。

音楽は、フランツ・シューベルトの 五重奏曲 イ長調 「鱒」 D 667 - V.フィナーレ : アレグロ ・ ジュスト。

 

※印象派 クロード・モネ 絵画 第二集

クロード・モネの1887年~最晩年の1924年迄の作品。

音楽は、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第 3 番ト長調 K. 216 II.アダージョ。


ピエール=オーギュスト・ルノワール 【My Favorite Artist Vol.2】

2013-09-04 | 絵画

ルノワールの名画をクラシック音楽のBGMを聴きながら鑑賞できる動画を作成しました。

 

★ルノワール絵画 第一集

     

 

★ルノワール絵画 第二集

     

 

★ルノワール絵画 第三集

     

 

19世紀の印象派の代表画家として有名なピエール=オーギュスト・ルノワール

(1841-1919)について調べてみました。

 

ルノワールの作品の特徴としては、初期のころは肖像画を多く描いており、

中期は若干色合いが渋めになっていますが、晩年にはまた優しく穏やかな

明るい色彩の絵を描いています。風景画や家族・親族・自画像・友人・画家・

画商・裸婦など身近な人物を始め、肖像画を描いてほしいとの依頼人や特定の

モデルなど人物画が多いのですが、静物画など幅広いジャンルを描いています。

奔放な筆勢や、多様な色彩、官能的な裸婦の表現、木漏れ日による人物や風景

への効果を研究した斑点状の描写など特徴的な表現で数多くの作品を残しています。

1862年に国立美術学校へ入り絵画を学び、またグレールの画塾ではクロード・モネ、

アルフレッド・シスレー、フレデリック・バジールらバティニョール派(後の印象派)と

呼ばれる画家たちや、モネの友人であったカミーユ・ピサロとも知り合って、共に

フォンテーヌブローの森で作品を制作しました。

 

カンヴァスと絵の具を戸外に持ち出し、目に見える風景を写しとっていきました。

木々や波、建物に写る光の反映を、色の細分化と筆触を重ねることで描き留め

ようと試みました。

 

遠くルネサンス以来の線的な遠近法や色彩のグラデーションによる三次元的な

空間の再現をも覆し、革命的とも言える清新な画面の数々を生みだすことにな

りました。

 

ルノワール、モネ、ピサロ、シスレー、モリゾ、ドガ、セザンヌなど、1840年前後に

生まれた一群の若い画家たちは、長い間、当時の美術家の登竜門とされた

「サロン(官展)」への入選を目指して挑戦と失敗を繰り返していました。次第に

サロンのあまりの保守性に嫌気がさした彼らは、1874年4月、「画家、彫刻家、

版画家などによる“共同出資会社”と名付けたグループを結成し、その第1回展を

パリのカピュシーヌ大通りにあった写真家ナダールのスタジオで開きます。これが

のちに「印象派展」と呼ばれるようになる記念すべき展覧会で、以後1886年に至る

まで計8回催されました。

 

ルノワールは1880年になると、光の効果を重んじ形状の正確性を失った純粋な

印象主義に疑問を抱き始め翌年にイタリア旅行しルネサンスの巨匠ラファエロ

などの作品に触れるほか、1884年にはカミーユ・コローの研究のため

ラ・ロシェーヌへ旅行。この1880年代は古典主義を探求し作風を変化させています。

 

1885年に息子ピエールが生まれ、その5年後の1890年に『田舎のダンス(1883年制作)』

のモデルを務めたアリーヌ・シャリゴと結婚、家庭を築きました。

 

1888年頃にリュウマチ性関節炎や顔面神経痛に襲われ、この病によって1880年代の

古典主義的な表現から豊満な裸婦画に代表される暖色を用いた豊潤な様式へと再変

させました。晩年期の1890年代からは体調がさらに悪化し、1911年には車椅子生活

を余儀なくされるも、痛みに耐えながら最後まで精力的に作品制作を続け、真偽のほど

はわからないですが、「指に筆をくくりつけて描いた」という伝説も生まれました。

78歳で亡くなっています。

 

ルノワールの作品総数は、4000点は下らないだろうと言われています。

 

                  小さな貴婦人ロメーヌ・ラコー嬢 1864年

                           クリーグランド美術館所蔵

         

 

                   フレデリック・バジールの肖像 1867年

                       オルセー美術館(パリ)所蔵

            

 

                       ラ・グルヌイエールにて 1869年

                       ストックホルム国立美術館所蔵

  

                       青衣の女(パリ女) 1874年

                       ウェールズ国立美術館所蔵

              

 

                                                       バレリーナ(踊り子) 1874年

                                                    ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

                  

 

                                                        アルジャントゥイユの庭で絵筆をとるクロード・モネ 1875年

                                                                       ワズワース美術館(コネチカット)

                                                                             

                         ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏場 1876年
                                                          

                             オルセー美術館(パリ)所蔵

                                                        

                         アンリオ夫人の肖像 1876年頃

                       ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵

             

 

                         シャルパンティエ夫人とその子供たち 1878年
                                                      

                               メトロポリタン美術館所蔵

                                               

                  イレーヌ・カーン・ダンヴェール嬢の肖像 1880年

                                                 
                                           ビュレル・コレクション(チューリヒ) 

                   

                                                      

                        舟遊びをする人々の昼食 1881年

                                                         フィリップス・コレクション

 

                                                                テラスにて 1881年

                                                      シカゴ美術研究所所蔵
 
                    
 
 

                                                                     雨傘 1881-1885年

                                                        ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵
 
                                
 
 
 
                          ブージヴァルのダンス 1883年
                        
                              ボストン美術館所蔵 
 
 
                      
 
 

                                                             都会のダンス 1883年

                                                         オルセー美術館(パリ)
 
 
                                        
 
 

                                田舎のダンス 1883年

                               オルセー美術館(パリ)所蔵
 
                      
 
 
             
                         ヴァルジュモンの子供たちの午後 1884年
                              ベルリン国立絵画館所蔵 

  

                             草原にて 1890年頃

                        メトロポリタン美術館(ニューヨーク)                   

           


奇跡のクラーク・コレクション (兵庫県立美術館で観覧)

2013-08-17 | 絵画

クラーク美術館は、1955年に開館した米国マサチューセッツ州ウィリアムズタウンにある美術館です。

イタリア・ルネサンスのオールドマスターの作品から、近代に至るまでのヨーロッパ絵画、 また陶器や

銀器などの工芸美術品も時代と地域を越えた幅広い作品を所蔵しています。

絵画では30点以上に及ぶオーギュスト・ルノワール作品をコレクトしている事でも有名です。

カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、クロード・モネなどの印象派絵画も驚くべき質の高さを誇ります。

                            

                                       クラーク夫妻(スターリング&フランシーヌ)

           

 

                     クラーク美術館(Sterling and Francine Clark Art Institute)

      

 

 

現在、建築家・安藤忠雄の監修で施設の増改築工事が行われており、これに伴い2011年にコレクションの

世界巡回展開催が決定し幸運なことに今年、日本にも開催される事になりました。 

 

関西では、兵庫県立美術館でこの展覧会が開催されており8月15日に観覧してきました。

 

 

 

クラーク美術館が所蔵する名品の内、ルノワール作品22点、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ・・・。

これまで目にしたことのない奇跡のフランス絵画73点を観れてたいへん感動しました。                                                                            

しかも59点もの作品が日本初公開でした。 

 

※展覧会の内容 

①戸外に出た絵描き達 バルビゾン派・外光派

1830年から1870年頃にかけて、フランスで起こった絵画の一派。                                                                    

画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になり緑豊かな

田園風景や農民の素朴な姿を題材にして描いています。

従来の方法に従い作品はアトリエで仕上げていましたが、それらは

戸外で風景を忠実に捉えたスケッチから始まったのでした。

自然光や事物の動きをたくみにみに描写した色彩や筆触は、後の

印象派の到来を予告しているようです。

フランスのバルビゾン村やその周辺に滞在や居住し、自然主義的な

風景画や農民などを写実的に描いています。1830年派とも呼ばれています。

コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニー

の7人が中心的存在で、「バルビゾンの七星」と云われています。                                                                      

広義にはバルビゾンを訪れたことのあるあらゆる画家を含めてそのように                                                        

呼ばれています。 

 

展示してあった作品から

              カミーユ・コロー《ルイーズ・アルデュアン》1831年 油彩・パネル

     

 

            テオドール・ルソー ランド地方の農園1844-1867年頃 油彩・パネル

 

         

              コンスタン・トロワイヨン《ガチョウ番》1850-1855年頃 油彩・パネル

    

 

        ヨーハン・バルトルト・ヨンキントフリゲート艦1852-1853年頃 油彩・カンヴァス

 

  

                             カミーユ・コロー《水辺の道》1865-70年頃 油彩・カンヴァス

  

    

           ジャン=フランソワ・ミレー《羊飼いの少女、バルビゾンの平原》 1862年以前 油彩・パネル 

                 

 

               オノレ・ドーミエ《版画収集家たち》 1860年-1863年頃 油彩・パネル 

 

②光を捉える印象派 

カンヴァスと絵の具を戸外に持ち出し、目に見える風景を写しとっていきました。木々や波、建物に

見える光の反映を、色の細分化と筆触を重ねることで描き留めようと試みました。                                                             

遠くルネサンス以来の線的な遠近法や色彩のグラデーションによる三次元的な空間の再現をも覆し、                                                       

革命的とも言える清新な画面の数々を生みだすことになりました。

「印象派」という言葉は、画家クロード・モネが1874年に制作した作品「印象・日の出」に由来しています。                                                

その後、同世代の画家たちの描くみずみずしい風景画や人物画全般に対して用いられるようになりました。

ルノワール、モネ、ピサロ、シスレー、モリゾ、ドガ、セザンヌなど、1840年前後に生まれた一群の若い画家                                                  

たちは、長い間、当時の美術家の登竜門とされた「サロン(官展)」への入選を目指して挑戦と失敗を繰り返                                                   

していました。次第にサロンのあまりの保守性に嫌気がさした彼らは、1874年4月、「画家、彫刻家、版画家                                              

などによる“共同出資会社”」と名付けたグループを結成し、その第1回展をパリのカピュシーヌ大通りにあった                                            

写真家ナダールのスタジオで開きます。これがのちに「印象派展」と呼ばれるようになる展覧会の記念すべき                                              

第1回展で、以後1886年に至るまで計8回催されました。

最初はひどく嘲笑された彼らの作品は、1880年前後を境に、新しい時代の美を求める新興市民層を軸に多くの                                           

愛好家を得るようになり、やがてはとりわけアメリカ合衆国の企業家などを中心として、世界中にコレクターを見出                                         

すようになっていきました。

 

展示してあった作品から

             カミーユ・ピサロ《ポントワーズ付近のオワーズ川》 1873年 油彩・カンヴァス

   

 

                  クロード・モネ《小川のガチョウ》 1874年 油彩・カンヴァス

     

 

           アルフレッド・シスレービ付近のセーヌ川堤1880年-1881年頃 油彩・カンヴァス

     

 

           アルフレッド・シスレー籠のリンゴとブドウ1880年-1881年頃 油彩・カンヴァス

      

 

                   クロード・モネエトルタの断崖1885年 油彩・カンヴァス

     

 

          クロード・モネレイデン付近、サッセンハイムのチューリップ畑1886年 油彩・カンヴァス

 

③日常へのまなざし

バルビゾン派、印象派、アカデミスムの画家らと互いに影響を与えあいながらも、                                                                 

独自の作風を追求していきました。                                                                                            

日常にあふれる風景や事物に、注意深くまなざしを注いでいます。

 

展示してあった作品から

 

                  エドガー・ドガ《自画像》 1857年-1858年 油彩・カンヴァスで裏打ちされた紙

                 

 

                    エドガー・ドガ《稽古場の踊り子たち》 1880年頃 油彩・カンヴァス

      

 

                エドゥアール・マネ《花瓶のモス・ローズ》 1882年 油彩・カンヴァス 

              

 

                 アルフレッド・ステヴァンス《公爵夫人(青いドレス)》 1866年頃 油彩・パネル

                     

 

④アカデミスム 伝統を受け継ぎ、技を磨く

政府主導で進められてきた芸術家育成プログラムの中で技術を磨き、伝統的な手法に                                               

のっとって制作を行いました。                                                                                               

安定した構図、高い写実性や自然に即した色遣いを忠実に守っています。

 

                    ジャン=レオン・ジェローム 《奴隷市場》 1866年 油彩・カンヴァス

                      

 

              メアリー・カサット《闘牛士にパナルを差し出す女》 1873年 油彩・カンヴァス

                    

 

            ジョヴァンニ・ボルティーニの道を渡る 1873年-1875年頃 油彩・カンヴァス

      

 

               アルフレッド・ステヴァンス《思い出と後悔》 1874年頃 油彩・カンヴァス

           

            

                 ジェームズ・ディソ《菊》 1874年-1876年頃 油彩・カンヴァス

               

 

                ジャン=レオン・ジェローム《蛇使い》 1879年頃 油彩・カンヴァス

 

               ウィリアム=アドルフ・ブグロー《座る裸婦》 1884年 油彩・カンヴァス    

       

 

             アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 待つ 1888年頃 油彩・カンヴァス

    

 

⑤22点あるピエール=オーギュスト・ルノワールの作品から

 

                《若い娘の肖像(無邪気な少女)》 1874年頃 油彩・カンヴァス

     

 

          《モネ婦人の肖像(読書するクロード・モネ婦人) 1874年 油彩・カンヴァス

          

   

                                        《フルネーズ親父 1875年 油彩・カンヴァス

     

   

                   《かぎ針編みをする少女》 1875年 油彩・カンヴァス

    

 

                     《自画像》 1875年頃 油彩・カンヴァス

     

 

                 《テレーズ・ベラール》 1879年 油彩・カンヴァス

            

  

                    《うちわを持つ少女》 1879年頃 油彩・カンヴァス

    

この絵画を私は、2010年に大阪・中之島にある国立国際美術館で観覧した事があり、再び観覧出来て感激しました。

 

               《劇場の桟敷席(音楽会にて)》 1880年 油彩・カンヴァス 

着飾った二人の若い女性が劇場の桟敷席で演奏が始まるのを待っています。                                                                  

ルノワールの作品を扱った画商ポール・デュラン=リュエルによれば、この作品は                                                                  

文部省芸術担当次官エドモン・テュルケの娘たちの肖像画として注文されたもの。                                                                    

しかし依頼主が作品の出来栄えに不満で、受け取りを拒絶したらしいです。                                                                    

興味深いことに、当初、女性たちの後ろにはひとりの男性が描かれていましたが、                                                                     

その後それを塗り込めてしまったとの事。実際の作品を見ると、消されてしまったその                                        

男性像の痕跡を未だに見出すことができます。

       

 

                   《シャクヤク》 1880年頃 油彩・カンヴァス

 

                       《眠る少女》1880年 油彩・カンヴァス

              

 

                       《タマネギ》 1881年 油彩・カンヴァス

      

 

                    《ヴェネツィア、総督府》 1881年 油彩・カンヴァス

 

                     《ナポリの入江、夕刻》 1881年 油彩・カンヴァス

 

                           《頭部の習作(ベラール家の子どもたち)》 1882年 油彩・カンヴァス

    

   

           《縫い物をするマリー=テレーズ・デュラン=リュエル》 1882年 油彩・カンヴァス

       

 

                     《金髪の浴女》 1881年 油彩・カンヴァス 

ルノワールの画業の転換点となる重要作品。1881年から翌年にかけてルノワールとのちに                                                        

妻となるアリーヌはイタリアを旅しました。この作品は、ルノワールが古代やルネサンス期の                                                    

画家たちの作品を身近に見ていた頃に描かれています。ルノワールはナポリ湾に浮かぶ舟の上で                                                       

アリーヌを描いたと言明していますが、しかし実際の作品を観察すると、モデルは室内で                                                                              

ポーズしているかのようです。                                                                              

アリーヌはナポリ旅行の時には痩せていたと語っており、特定の人物というよりは、                                                         

ルネサンス絵画を意識しつつ、理想化された女性像を描いたように思われます。

      

 

                   《手紙1895年-1900年頃 油彩・カンヴァス 

         

 

           《鳥と少女(アルジェリアの民族衣装をつけたフルーリー嬢)》1882年 油彩・カンヴァス 

19世紀末のフランスでは近代化、都市化がすすみ、中東や北アフリカの風俗がある種の                                                             

憧れとともに画題として流行していました。ルノワールもアルジェリアに複数回旅行して理想化                                                            

された異国趣味を描きました。《鳥と少女》もそうした時代に描かれた作品で、可愛らしい少女                                                           

が異国の民族衣装を着て微笑んでいる。ルノワールはアルジェリア旅行の回想として                                                             

「アルジェリアの衣装を着」た「フルーリー嬢」と書き残していますが、ルノワールが旅行したとき                                     

にはフルーリーという名の総督はいなかったため、実際のモデルは不明であると云われています。                                                                    

いずれにせよ、青を基調とした爽やかな空間は光に満ち、少女の明るい瞳は我々の視線だけで                                    

なく魂まで寄せつけてしまいそうです。

      

大好きな印象派の絵画、とりわけルノワールの作品が22点も鑑賞出来、感動した有意義な一日でした。 

 

※You Tube にもアップしました。

 


松柏美術館 ~ 秋篠寺 ~ 秋篠窯

2013-07-22 | 絵画

昨日は3人で上村松園の絵画をたくさん所蔵している松柏美術館と東洋のミューズと称賛されている
「伎芸天」がいらっしゃる秋篠寺を訪ねました。 

松柏美術館は2度目、秋篠寺には、4度目。 

松柏美術館は上村松園、松篁、淳之の作品をたくさん所蔵しておりますが、常設して全部を見せるという                                                                 形式ではなく二か月ごとにテーマを決め分けて展示する方法を採っています。なので、所蔵している絵画                                                                を全部見るには一年以上通わなくてはなりません。 

私は秋篠寺では、伎芸天を拝観するのが目的ですが、今回、毎年6月6日だけ開帳される秘仏がある事を知りました。                                                         大元帥明王という仏像で、この日は参拝者が列をなすと情報を得ました。 

秋篠寺の拝観は私のライフワークになりそうです。


松柏美術館に行く前に奈良では、有名な地元で有機栽培された大和野菜を使っている
イタリアン・レストラン「ベンベヌート」でランチしました。

http://www.1996benvenuto.com/


13時からピアノの演奏もあってゆっくり落ち着いて食事出来ました。

そして、松柏美術館の「雨の調べ 風の韻」展を観覧しました。

http://www.kintetsu.jp/shohaku/index.html

 





着物姿の女性や鳥や花などに雨や風を表現した上村松園の大きな下絵も見ることが出来ます。

 

 

      

 

むつかしい絵の評論など私には出来ませんが、やはり、素晴らしい日本画の数々に見入って                                                                     しまいました。


絵画を観覧した後に松柏美術館敷地内にある「旧佐伯邸」も見学し、美術館の裏庭も歩き                                                                      ました。竹林もあり涼しかったです。

 

 

 

 

次は秋篠寺を訪ねました。

 



 

秋篠寺の境内の庭はたいへん綺麗な苔におおわれ実に素晴らしいです。そして本堂には、他の仏像とともに                                                                伎芸天立像が安置されています。

 

 

 

 

 

 



伎芸天立像は、天平時代に作られたものですが、その後の火災で頭部のみ残っていたものを鎌倉時代に寄木造で
再現されたものとの事で、そのため国宝にはならず重要文化財になっています。                                                                            日本で現存している伎芸天像はこの秋篠寺だけとの事です。

 

                    

伎芸天像は、中国にもありますがやはり日本の伎芸天とは趣が異なります。

私にとっては、何度でも拝観したい仏像です。

私は仏像にはあまり興味はないのですが、この伎芸天だけは、ものすごく惹かれるものがあります。
腰をわずかにひねっており指のしぐさなどかなり女性的で優雅なのです。
人間味のある慈悲深いお顔とその姿に今回もしばし見入ってしまいました。

【動画】秋篠寺・伎芸天が撮影されています。

 

秋篠寺を離れてすぐ近くにある陶芸庵にも訪ねました。 ここも4度目。

 



 

アメリカでも個展を開いたりして陶芸活動をされている今西方哉氏の「秋篠窯」です。

庭で採れる土を使い今西方哉氏が考案した「翠篁釉(すいこうゆう)」を施した美しい「秋篠焼」
を製作されています。

http://www.akishinogama.com/

 

 



 

その後は、西大寺の近くにあるオシャレなフランス菓子店「ガトー・ド・ボワ本店」でケーキとお茶でしばし休憩しました。

 

 

http://gateau-des-bois.com/index.html

 

       

 

ここのオーナーでパティシエである林 雅彦氏はフランスの菓子コンクール『クープ ドュ モンド パティスリー』で、1991年                                                          に、日本人で初めて優勝を勝ち取った海外でも有名な人です。


昨日は、芸術と美味しい食事とおやつを頂いた楽しい日でした。

 

※You Tube に秋篠寺の写真をスライドショーで見れる動画をアップしました。


松柏美術館 「雨の調べ 風の韻」 展

2013-06-15 | 絵画

今日は、天気が良ければ、秋篠寺~唐招提寺をハイキングしょうと

楽しみにしていましたが、11時頃から雨となったため上村松園の

日本画を多数所蔵している松柏美術館の展覧会に行きました。

でも、梅雨入り後待ちに待った雨が降ったので、うれしくもありました。 

 

         

 

松柏美術館のホームページ

http://www.kintetsu.jp/shohaku/index.html

 

8月4日まで、「雨の調べ 風の韻」と題した展示をしており、着物姿の女性や鳥や花

などに雨や風を表現した上村松園、松篁、淳之の作品をたくさん展示してありました。

 

主な展示作品は、

 

上村松園

「虫の音」

明治42年

 

「鼓の音」

昭和15年

 

「雪」

昭和15年頃

 

「虹を見る(下絵)」

昭和7年

 

「風(下絵)」

昭和14年

 

「時雨(下絵)」

昭和11年

上村松篁

「春雨」

昭和9年

 

「蘚汀雨情」

昭和9年

 

「青柿」

昭和22年

 

「草原八月」

昭和31年

 

「燦雨」

昭和47年

 

「花(雪月花の三題のうち)」

昭和53年

 

「雨情」

平成8年

上村淳之

「晴れ間」

昭和56年

 

「水辺の朝」

平成4年

 

「小千鳥」

平成11年

 

「尾長」

平成13年

 

「山湖」

平成14年

 

「舞う」

平成17年

 

驚いたのは、上村松篁と淳之の親子は鳥を描くために自宅に広大な鳥園を

作ってたくさんの種類の鳥を飼育しておられるのを知った事でした。

                                   

                       上村松篁「蘚汀雨情

                

 

                            上村松篁「青柿」

                

                                         

                  上村淳之「晴れ間」

                              

                                

                         上村松園「鼓の音」

                    

 

                                           上村淳之「四季花鳥図」

 

個人のホームページですが、上村松園の作品をたくさん掲載しておられる

ページがありますので、ご紹介します。 

ギャラリー 上村松園

http://www.amigo.zaq.jp/jiro/gallery/index.html

 

You Tube 上村松園

 

雨がほんの少し小降りになったので、松柏美術館敷地内にある「旧佐伯邸」を見学しました。

喫茶室にして一般の人に公開されています。

 

 

 

 

旧佐伯邸を見学した後、すぐ近くにあるにおしゃれなイタリアンレストランでランチを頂きました。

地元農家と契約し、有機栽培された、大和野菜・京野菜をを使用しているレストランです。

BGMはジャズヴォーカルが流れていました。夜はライブもしているそうです。

(イタリア料理 ベンベヌート)

 

 

 

 

サラダ、 前菜、 お替り自由の自家製フォカッチャ(パン)、本日のパスタ、デザート、コーヒー

がついていて、美味しくてお腹いっぱいになり大満足。

 

食べる事に夢中でデザートだけしか写してなかった(笑)

 


マウリッツハイス美術館展

2012-10-23 | 絵画

神戸市立博物館の開館30年を記念して開催されている
「特別展 マウリッツハイス美術館展 オランダ・フラ
ンドル絵画の至宝 」の展覧会を10月21日に観覧しま
した。

 ※マウリッツハイス美術館
フェルメールやレンブラントの母国であるオランダ
第3の都市ハーグの中心地にある美術館。
所蔵作品は約800点と小規模ですが、選りすぐりの
名品を所蔵し、「王立絵画館」の呼称で親しまれて
います。なかでも、世界にわずか三十数点しか現存
しないフェルメール作品を3点所有するなど、17世紀
オランダ・フランドル絵画の質の高さを感じさせてく
れます。

事前に一緒に行った人が、観覧する前にこのお店で
ランチしましょうと教えてもらったレストラン
TOOTH TOOTH masion15(建物が重要文化財)で
ランチコースを賞味しました。
予約しておいて良かったです。すごいウェイティング
の行列が出来ていました。
・・・神戸市立博物館の並びにあります。 

料理がすごく美味しくデサートもドリンクもついて
いてお腹いっぱいになり楽しく会話も出来て大満足
しました。

そして、いよいよ神戸市立博物館に入館しました。

この美術展に展示されている絵画は、1600年代に描か
れたオランダ絵画の黄金期の作品が殆どで、修復され
ている作品もあるらしいですが今から350年~400年前
に描かれたとはとても思えないくらいに非常に保存状
態がいいのには驚きました。
(日本の江戸時代前期になります)

展示構成は以下の通りでした。

第1章 美術館の歴史
第2章 風景画
第3章 歴史画(物語画)
第4章 肖像画と「トローニー」
第5章 静物画
第6章 風俗画

西洋絵画の主要ジャンルごとに章を設定されていま
した。

第4章で展示されていたヨハネス・フェルメールの
1665年頃の作品『真珠の耳飾りの少女』
(青いターバンの少女)を鑑賞し感激しました。

振り向いた表情の目や口元にかすかな微笑みがあり、
異国風の青いターバンを髪に、そして耳には真珠が
キラリと光っています。

ずっと見ていたい衝動にかられてしまいました。

私もそうですがどうしても『真珠の耳飾りの少女』
ばかりに注目してしまいますが、他のフェルメール
の作品は最初期の作品で神話がテーマの『ディアナと
ニンフたち』もありました。


そしてフェルメールと並ぶオランダのレンブラントの
作品が6点。更にフランス・ハルス、ルーベンス、
ヤン・ブリューゲル(父)、ヤン・ステーンら、主に
17世紀バロック期のオランダ・フランドル絵画の巨匠
達の名作がずらりと並んでいました。
なかなかに魅力的な展示で、ゆっくり鑑賞できたので
充実した有意義な一日を過ごせました。

展覧会鑑賞後に皆さんと一緒にお茶して、帰りに
ジャズの生演奏を聴いて、レコード・CD店にも
足を運び、好きな事を満喫した一日でした。


~美術館巡り~ ピサロと印象派

2012-07-16 | 絵画

昨日は、兵庫県立美術館で開催されている
「ピサロと印象派」の展覧会を鑑賞しました。

兵庫県立美術館が開館10周年を記念し6月6日
より8月19日まで国内外に所蔵されるピサロ
の作品約90点に、モネやルノワールの作品も加
え100点以上を展示していました。

ピサロの絵画をこれほどたくさん鑑賞できる機会
はめったになく、逃せば一生見れない貴重な絵画
ので、絶対に行くんだと固い決意を持って(大袈裟)
親しい方々と一緒に兵庫県立美術館に行きました。

鑑賞前に一緒にランチして一緒に鑑賞してそして
鑑賞後のお茶もして楽しい会話で心が和みました。

今回の絵画鑑賞も圧巻でした。すごい ! 
帰宅してからも鑑賞した時の興奮が続いています。

私は、やはり印象派の絵画が特に好きなんだと
再認識しました。

カミーユ・ピサロについてもよく知ることができ
ました。

(ご参考)兵庫県立美術館の解説より

フランス印象派の画家、カミーユ・ピサロ
(1830-1903)は、ファン・ゴッホやスーラ
など新世代にも慕われ、印象主義のためには
新奇な手法を取り入れることも恐れませんで
したが、自然の風景や人々の暮らしを描いた
ピサロの穏やかな作品には、19世紀という
激動の時代における都市と田園の対比や変貌
する自然観など、同時代の様々なテーマも見
てとれます。

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何がすごかったの・・と質問されると返答に
困るのですが昨年、鑑賞したワシントン・
ナショナル・ギャラリー展とフェルメール展
と同じくらいに感動しました。

1852年~ピサロが亡くなる前年の1903年
までの本物(もちろん)の絵画が集め、その素朴
なフランスの田舎の風景を光と影をうまく使い、
早朝・午後・夕暮れと同じ場所で描いた作品など
もあり多彩なタッチと細かな描写、人物の配置
などとても素晴らしい作品ばかりでした。

 

カミーユ・ピサロ

 

 

      


~美術館巡り~ ワシントン・ナショナル・ギャラリー展とフェルメールからのラブレター

2011-10-10 | 絵画

京都市美術館で開催されている
・ワシントン・ナショナル・ギャラリー展
・フェルメールからのラブレター
・第96回「院展」京都展
を鑑賞して来ました。

絵画の展覧会に行くのは久しぶりでした。

午前中にワシントン・ナショナル・ギャラリー展と日本画の
第96回「院展」京都展を見ました。

午後は「フェルメールからのラブレター」展を見て夕方は
八坂神社の近くの花見小路やその付近で食事して、最後は
ママがピアノで伴奏してくれるバーでジャズとスタンダード
を数曲歌わせてもらいました。

とても・すごく・最高に、楽しんだ一日でした。

この場をお借りしてあらためて楽しい一日を案内して
くださいました人にお礼を申し上げます。

ワシントン・ナショナル・ギャラリー展は期待通りでした。
1870年代~1900年代の始めの素晴らしい印象派のマネ、
モネ、ルノワール、ドガ、シスレー、ピサロそして、セザンヌ、
ロートレック、ゴーギャンやゴッホなどもちろん本物の
絵画が全部で83点も展示されていて見応え十分でした。

私としては、アメリカに行かなくても京都でこんなに多くの
世界財産的な貴重な絵画を83点も見れるこんな機会を
見逃せないと云う思いがありました。

ヨハネス・フェルメールのラブレター展はもっと古く
1600年代のオランダ絵画の代表作でもちろん本物。
修復したものもあるようですが、400年もの昔の絵画が
綺麗に保存されていて鑑賞出来るのには驚愕の思いでした。
同時代のオランダの画家の作品も展示されており40点もの
貴重な絵画が展示されていました。

第96回「院展」は、新人の画家などの作品もありじっくり
日本画の秀作を鑑賞できました。

 

 

            

 


ルノワール展

2010-06-27 | 絵画

今日が最終日だったルノワール展に行って来ました。

大阪・中之島国立国際美術館で4月17日~6月27日まで開催されていました。

まだ日があると思っていたらとうとう最終日になり慌てて見に行きました。

全85点(ブロンズ彫刻やルノワールが知人に送った直筆の手紙も)
すべてオリジナル(本物)が展示されていました。

中でも「可愛いイレーヌ」・・・・中央の画像
・・・今回は大阪だけでの展示でした。(見れてラッキー !)
とても綺麗で素晴らしく立ちすくんでしまいました。
一列に並んで見て、そして後ろの方でも観覧しました。

昔に教科書で見た事がある絵画の実物を実際に見るのはいつも感動します。

ルーブル美術館、大英帝国博物館、ニューヨークの近代美術館などや、そしてほぼ
日本中の美術館はすべて行ったことがありますが、近くの大阪でしかもルノワールだけで
85点も集めて公開されるのは、私が生きている間では恐らく今回だけと思って自分に対
する使命感?のようなものが働いたようです。

とても感動した一日でした。