クラーク美術館は、1955年に開館した米国マサチューセッツ州ウィリアムズタウンにある美術館です。
イタリア・ルネサンスのオールドマスターの作品から、近代に至るまでのヨーロッパ絵画、 また陶器や
銀器などの工芸美術品も時代と地域を越えた幅広い作品を所蔵しています。
絵画では30点以上に及ぶオーギュスト・ルノワール作品をコレクトしている事でも有名です。
カミーユ・ピサロ、アルフレッド・シスレー、クロード・モネなどの印象派絵画も驚くべき質の高さを誇ります。
クラーク夫妻(スターリング&フランシーヌ)
クラーク美術館(Sterling and Francine Clark Art Institute)
現在、建築家・安藤忠雄の監修で施設の増改築工事が行われており、これに伴い2011年にコレクションの
世界巡回展開催が決定し幸運なことに今年、日本にも開催される事になりました。
関西では、兵庫県立美術館でこの展覧会が開催されており8月15日に観覧してきました。
クラーク美術館が所蔵する名品の内、ルノワール作品22点、コロー、ミレー、マネ、ピサロ、モネ・・・。
これまで目にしたことのない奇跡のフランス絵画73点を観れてたいへん感動しました。
しかも59点もの作品が日本初公開でした。
※展覧会の内容
①戸外に出た絵描き達 バルビゾン派・外光派
1830年から1870年頃にかけて、フランスで起こった絵画の一派。
画材道具の発達に伴って、屋外で絵を描くことが可能になり緑豊かな
田園風景や農民の素朴な姿を題材にして描いています。
従来の方法に従い作品はアトリエで仕上げていましたが、それらは
戸外で風景を忠実に捉えたスケッチから始まったのでした。
自然光や事物の動きをたくみにみに描写した色彩や筆触は、後の
印象派の到来を予告しているようです。
フランスのバルビゾン村やその周辺に滞在や居住し、自然主義的な
風景画や農民などを写実的に描いています。1830年派とも呼ばれています。
コロー、ミレー、テオドール・ルソー、トロワイヨン、ディアズ、デュプレ、ドービニー
の7人が中心的存在で、「バルビゾンの七星」と云われています。
広義にはバルビゾンを訪れたことのあるあらゆる画家を含めてそのように
呼ばれています。
展示してあった作品から
カミーユ・コロー《ルイーズ・アルデュアン》1831年 油彩・パネル
テオドール・ルソー 《ランド地方の農園》1844-1867年頃 油彩・パネル
コンスタン・トロワイヨン《ガチョウ番》1850-1855年頃 油彩・パネル
ヨーハン・バルトルト・ヨンキント《フリゲート艦》1852-1853年頃 油彩・カンヴァス
カミーユ・コロー《水辺の道》1865-70年頃 油彩・カンヴァス
ジャン=フランソワ・ミレー《羊飼いの少女、バルビゾンの平原》 1862年以前 油彩・パネル
オノレ・ドーミエ《版画収集家たち》 1860年-1863年頃 油彩・パネル
②光を捉える印象派
カンヴァスと絵の具を戸外に持ち出し、目に見える風景を写しとっていきました。木々や波、建物に
見える光の反映を、色の細分化と筆触を重ねることで描き留めようと試みました。
遠くルネサンス以来の線的な遠近法や色彩のグラデーションによる三次元的な空間の再現をも覆し、
革命的とも言える清新な画面の数々を生みだすことになりました。
「印象派」という言葉は、画家クロード・モネが1874年に制作した作品「印象・日の出」に由来しています。
その後、同世代の画家たちの描くみずみずしい風景画や人物画全般に対して用いられるようになりました。
ルノワール、モネ、ピサロ、シスレー、モリゾ、ドガ、セザンヌなど、1840年前後に生まれた一群の若い画家
たちは、長い間、当時の美術家の登竜門とされた「サロン(官展)」への入選を目指して挑戦と失敗を繰り返
していました。次第にサロンのあまりの保守性に嫌気がさした彼らは、1874年4月、「画家、彫刻家、版画家
などによる“共同出資会社”」と名付けたグループを結成し、その第1回展をパリのカピュシーヌ大通りにあった
写真家ナダールのスタジオで開きます。これがのちに「印象派展」と呼ばれるようになる展覧会の記念すべき
第1回展で、以後1886年に至るまで計8回催されました。
最初はひどく嘲笑された彼らの作品は、1880年前後を境に、新しい時代の美を求める新興市民層を軸に多くの
愛好家を得るようになり、やがてはとりわけアメリカ合衆国の企業家などを中心として、世界中にコレクターを見出
すようになっていきました。
展示してあった作品から
カミーユ・ピサロ《ポントワーズ付近のオワーズ川》 1873年 油彩・カンヴァス
クロード・モネ《小川のガチョウ》 1874年 油彩・カンヴァス
アルフレッド・シスレー《ビ付近のセーヌ川堤》1880年-1881年頃 油彩・カンヴァス
アルフレッド・シスレー《籠のリンゴとブドウ》1880年-1881年頃 油彩・カンヴァス
クロード・モネ《エトルタの断崖》1885年 油彩・カンヴァス
クロード・モネ《レイデン付近、サッセンハイムのチューリップ畑》1886年 油彩・カンヴァス
③日常へのまなざし
バルビゾン派、印象派、アカデミスムの画家らと互いに影響を与えあいながらも、
独自の作風を追求していきました。
日常にあふれる風景や事物に、注意深くまなざしを注いでいます。
展示してあった作品から
エドガー・ドガ《自画像》 1857年-1858年 油彩・カンヴァスで裏打ちされた紙
エドガー・ドガ《稽古場の踊り子たち》 1880年頃 油彩・カンヴァス
エドゥアール・マネ《花瓶のモス・ローズ》 1882年 油彩・カンヴァス
アルフレッド・ステヴァンス《公爵夫人(青いドレス)》 1866年頃 油彩・パネル
④アカデミスム 伝統を受け継ぎ、技を磨く
政府主導で進められてきた芸術家育成プログラムの中で技術を磨き、伝統的な手法に
のっとって制作を行いました。
安定した構図、高い写実性や自然に即した色遣いを忠実に守っています。
ジャン=レオン・ジェローム 《奴隷市場》 1866年 油彩・カンヴァス
メアリー・カサット《闘牛士にパナルを差し出す女》 1873年 油彩・カンヴァス
ジョヴァンニ・ボルティーニの《道を渡る》 1873年-1875年頃 油彩・カンヴァス
アルフレッド・ステヴァンス《思い出と後悔》 1874年頃 油彩・カンヴァス
ジェームズ・ディソ《菊》 1874年-1876年頃 油彩・カンヴァス
ジャン=レオン・ジェローム《蛇使い》 1879年頃 油彩・カンヴァス
ウィリアム=アドルフ・ブグロー《座る裸婦》 1884年 油彩・カンヴァス
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 《待つ》 1888年頃 油彩・カンヴァス
⑤22点あるピエール=オーギュスト・ルノワールの作品から
《若い娘の肖像(無邪気な少女)》 1874年頃 油彩・カンヴァス
《モネ婦人の肖像(読書するクロード・モネ婦人)》 1874年 油彩・カンヴァス
《フルネーズ親父》 1875年 油彩・カンヴァス
《かぎ針編みをする少女》 1875年 油彩・カンヴァス
《自画像》 1875年頃 油彩・カンヴァス
《テレーズ・ベラール》 1879年 油彩・カンヴァス
《うちわを持つ少女》 1879年頃 油彩・カンヴァス
この絵画を私は、2010年に大阪・中之島にある国立国際美術館で観覧した事があり、再び観覧出来て感激しました。
《劇場の桟敷席(音楽会にて)》 1880年 油彩・カンヴァス
着飾った二人の若い女性が劇場の桟敷席で演奏が始まるのを待っています。
ルノワールの作品を扱った画商ポール・デュラン=リュエルによれば、この作品は
文部省芸術担当次官エドモン・テュルケの娘たちの肖像画として注文されたもの。
しかし依頼主が作品の出来栄えに不満で、受け取りを拒絶したらしいです。
興味深いことに、当初、女性たちの後ろにはひとりの男性が描かれていましたが、
その後それを塗り込めてしまったとの事。実際の作品を見ると、消されてしまったその
男性像の痕跡を未だに見出すことができます。
《シャクヤク》 1880年頃 油彩・カンヴァス
《眠る少女》1880年 油彩・カンヴァス
《タマネギ》 1881年 油彩・カンヴァス
《ヴェネツィア、総督府》 1881年 油彩・カンヴァス
《ナポリの入江、夕刻》 1881年 油彩・カンヴァス
《頭部の習作(ベラール家の子どもたち)》 1882年 油彩・カンヴァス
《縫い物をするマリー=テレーズ・デュラン=リュエル》 1882年 油彩・カンヴァス
《金髪の浴女》 1881年 油彩・カンヴァス
ルノワールの画業の転換点となる重要作品。1881年から翌年にかけてルノワールとのちに
妻となるアリーヌはイタリアを旅しました。この作品は、ルノワールが古代やルネサンス期の
画家たちの作品を身近に見ていた頃に描かれています。ルノワールはナポリ湾に浮かぶ舟の上で
アリーヌを描いたと言明していますが、しかし実際の作品を観察すると、モデルは室内で
ポーズしているかのようです。
アリーヌはナポリ旅行の時には痩せていたと語っており、特定の人物というよりは、
ルネサンス絵画を意識しつつ、理想化された女性像を描いたように思われます。
《手紙》1895年-1900年頃 油彩・カンヴァス
《鳥と少女(アルジェリアの民族衣装をつけたフルーリー嬢)》1882年 油彩・カンヴァス
19世紀末のフランスでは近代化、都市化がすすみ、中東や北アフリカの風俗がある種の
憧れとともに画題として流行していました。ルノワールもアルジェリアに複数回旅行して理想化
された異国趣味を描きました。《鳥と少女》もそうした時代に描かれた作品で、可愛らしい少女
が異国の民族衣装を着て微笑んでいる。ルノワールはアルジェリア旅行の回想として
「アルジェリアの衣装を着」た「フルーリー嬢」と書き残していますが、ルノワールが旅行したとき
にはフルーリーという名の総督はいなかったため、実際のモデルは不明であると云われています。
いずれにせよ、青を基調とした爽やかな空間は光に満ち、少女の明るい瞳は我々の視線だけで
なく魂まで寄せつけてしまいそうです。
大好きな印象派の絵画、とりわけルノワールの作品が22点も鑑賞出来、感動した有意義な一日でした。
※You Tube にもアップしました。