「生きて虜囚の辱めを受けず」この思想の原点がわからない。
例えば、「神風特別攻撃隊」攻撃対象となる、
艦船の兵士はパイロットへどのような教育をしているのか、
まったくの「謎」であり理解不能だったらしい。
また、
勇猛果敢に限られた兵器で戦う日本兵は、
捕虜になった時点で、従順な捕虜になり
兵站情報を提供したと聞いた事がある。
生死をさ迷った、放心状態では仕方ない事かもしれない。
では、
思想の原点は何だったのだろう?
「武士道」?「大和魂」?・・・・・
私は「日清戦争」をはじめとする、途切れる事の無い
戦争状態が、思想の基礎になっているのだと思う。
先に「100年」を経過した、特筆すべき海戦は異例であり、
注目すべきは、きっかけとなった「日清戦争」だと思う。
とかく日本を中心に見た場合、海戦の記述が多く、
地上戦については内容が乏しくなってしまうが、
それでも、「検索」「リンク」を辿ればそれなりに見えてくる。
その頃、
大陸では「王朝」終焉の時を迎えていた。
混乱していた時代だが、兵力を比較した場合、私が指揮官だったら
間違いなく、「大陸」チームで勝負したいと思う。
圧倒的に有利な「大陸」チームがなぜ、有利な条件で交戦状態を
終結する事が出来なかったのか?
統制の摂れた、計画的な戦略の重要性を「島国」チームは知ったと思う、
と
地上戦に措ける「捕虜」の扱いに恐怖したと思う。・・推測です。
・・この部分を一番調べたかったのだが、結構深い所にある。
「大陸」チームは言うなれば、混成チーム
この軍隊に、厳格なる『軍規』なるものが存在したか疑問です。
実際殆ど同じ頃、50年に渡り君臨した「女帝」の墓も暴かれました。
・・・平均的な日本人だと自分は思っていますが、
壮大な大陸の歴史の中で、この事件は大変不快な1つです。
眠る先人を何故起すのでしょうか?亡国に導いた「女帝」だから?
違うと思います、亡国に導いたのは先人を敬う気持ちの無い貴方の
「モラル」だと思います。 似たようなバージョンで、テロリストを
賞賛する、海外で暗殺・持ち帰り遺体を晒す国は論外でしょう。
内政干渉は論外ですが、墓を暴き・凌遅刑があり、三寸金連が
まかり通る国で、お互い『軍規』を意識していたか、確認する必要を感じます。
また、この延長線上に「通州」があっても不思議じゃありません。
統制の取れていない、混沌とした時代を語らず、
国内の諸問題を、全て転嫁するその姿勢は、見上げた物です。
次世代の評価を待ちましょう。
そしてお墓に入る時は気をつけてください。
関連語句:纏足・金玉均
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