天気が悪かったのですがぶらりと泉が森に出かけてきました。
慰霊塔 廃戦時に破棄された戦没者の墓を
昭和46年に有志が募り、再建したようです。
泉神社のご神木。昭和の初めに落雷により損傷
を受けましたが現在もそのまま温存しています。
泉神社は、平安時代初期の編修である延喜式(えんぎしき)神名帳にも記載されている
由緒ある神社で、天速玉姫命(あめのはやたまひめみこと)を祭神とし、
古くは天速玉姫命神社さらには泉大明神とも呼ばれていました。
神社には「水木のささら」(県指定無形民浴文化財)や「当屋祭」(とうやさい)が伝えられています。
ささらは、泉神社の出社に際して、露払いとして神輿(みこし)を先導し、村の五穀豊穣、浜大漁及び
住民の安泰を祈願する獅子舞です。また当家祭は、専業の神職をもたず、村人だけで神事を行って
いた、古い時代の名残りとみられる珍しい行事です。日立市教育委員会
栗田寛泉が森詠歌
ご祭神は市杵島比売命
別名 弁財天
此れより東北のかなた二里に密筑(みつき)の里あり
村の中に淨泉(いずみ)あり。俗、(くにひと)大井(おおい)と謂(い)う。
夏は冷ややかにして冬は温かなリ。湧き流れて川となれり。
夏の暑き時、遠邇(おちこち)の郷里(むらさと)より酒と肴(さかな)をもちきて男女
会集(つど)いて、休(いこ)い遊び飲(さけの)み楽しめリ。(原文は漢文)
密筑の里は、いまの水木の呼称で、淨泉・大井とは、神社北側に湧出している
泉のことです。周囲が五十メートルほどある泉のほぼ中央部からは、今も
青白い砂を吹き上げながら絶え間なく清水が湧き出しています。
水温は夏冬ともに約十三度で、「風土記」に記されているとおり、「夏冷冬温」です。
ここは綺麗な湧水が1日4,320トンも湧き出ている緑にかこまれた静かな所です。
泉が森公園イトヨの里
公園内には池があり、イトヨが生息しています。イトヨはこの池で卵を産み、ここで育ち
ます。イトヨが生息できるのは泉ヶ森から湧く水がきれいで、また常に注いでいるからです。
イトヨの里泉が森公園ができたのは平成3年当時、日立市水木町2丁目の養魚場跡地の池に
湧き水にしか生息しない希少淡水魚イトヨ(陸封型)が確認されたこと。
地域住民はイトヨ保全のため、養魚所跡地の親水公園化を市に要望。
平成10年に認可。平成14年にイトヨの里が完成。
今日は暇にまかせてハイキング散歩してきました。初めは風神山から真弓神社までのハイキング道を歩こうかと思ったのですが風神山まで車で行ってしまうとあまり面白くないと思い 名も無き沢からハイキング道まで登りそこから真弓神社の方まで行くコースで遊んできました。途中 日立アルプス市民ハイキングだと思うのですがかなりの人が(100人以上いたような?)ハイキング道を歩いて居ましたね 正直 静かに山を楽しみながら歩いているハイカーには迷惑そのものです。そもそもこんな狭いハイキング道をこれだけの人にダラダラと歩かれたら自然を楽しむもなにもありゃしないって 遅いのはかまわんのですがせめて道をゆずることくらいのマナーをもって歩いてくれれば良いのですがね まぁー責任者らしい人は道をゆずるよう声をかけてくれた人もいましたが 参加者の人たちは道をゆずるようにと言う声が聞こえないのか まぁーしゃべりながら歩いている人が多く道などゆずる気配も無し 結局無理やり追い越して歩いて行きましたけどね。そんな訳で予定していた時間よりかなり早く目的地に着いてしまいここからまた同じ道を戻ったのでは市民ハイキングの人たちの群れに突入することになるので帰り道の予定変更 今は使われていない道(多分昔の山仕事に使ってたであろう道)を沢沿いにヤブコギして下り自宅まで帰ってきました。
この場所ではまだ市民ハイキングの群れは居ません。 のんびり野鳥の声を聞きながら歩いていましたね。↓
静かな山道を北に向かって↓
ここの分岐を上るように入って行くと↓
祠が2箇所あります↓
祠を後にしてまたハイキング道へ新緑の中を歩いて行く↓
この方はこの後 駆け出して行きました。その訳がこの後わかりましたね(^^:)↓
ここのコースは真弓神社まで行く途中に2箇所くらいしか見晴らし場がありません↓
ここはハイキング道から少しはなれてわき道に入り少し山を登った所にある見晴らしの良いところ。↓
この写真を撮影した後 下の道をワイワイガヤガヤ人の声が聞こえてきたのでした。
帰り道(ヤブコギ)の山中にシャガがひっそりと咲いて居ました。↓
まぁ~最後にこんな綺麗に咲くシャガにおめにかかれたり また野鳥の声に癒されたりで散歩ハイクは終わりました。(笑)