母の葬儀には出なかった。
10歳の時に戸籍上でも、親子じゃないっていう状況になっていたから、どちらかというと私は母には辛辣だった。
逆らったし言いたいこともいったし、なんていうか「うるさい!」って言える相手だったから。
そして、きっと憎んでいたかもしれない。
私や弟をおいて急にでていっちゃうなんて、ひどい!!って。
どんな経緯があったのかなんて、今でもわからない。
父からは「追い出した」と聞くし、母からは「病気だった」と聞くし。
どっちにしても、夫婦ではいられないから離婚したんだと思う。
思い出すのはすさまじい喧嘩と、親族の争い。
すべてが大好きな人なのに、それぞれが罵り合って、罵倒して、そんな場所に子どもを遊ばせておいても平気な人たち。
それが私の血のつながった大人たち。
そして、母は再婚していて、当然名字も違って葬儀にいっても、私達はどんな扱いだったのかな?
聴いた話によると、母は兄(他人)私、弟を産んだ人になっていた。
まぁ。再婚した先の連れ子さんが私より年が上だったから・・・。
その方と私を結婚させるために再婚したって聞いていたし。
その理由は実の子だったら、嫁と義理の母の関係がうまくいくだろうという安易な理由だった。
実の子でも、感覚がまったく違うんだから、うまくいくわけないでしょってその話を聴いた時に思った。
父へは、恨みとかよりも、恐怖心がつよくて、ただ怖い。
私は自分の家の施錠もできない。
外からの侵入よりも逃げられない恐怖のほうが勝ってしまうのだ。
いつも夫から、「また鍵かってないよ~~」と今でも言われる。
そして、外から帰ってきた自分は鍵がかかっていると「家の中にいるのになんで鍵を閉めるの?」という疑問を持つ。
鍵を持っていないのに、鍵をかけられた家にどう入るか?なんてことがいつもだったから、感覚的に理解できないのだ。(笑)
トイレも、お風呂も超危険な場所だからね。
家の中も外もそんなに変わらない。
そんな感覚で大きくなったんだよ。わたし・・・。
それぞれの親に10年間いい親孝行したし。孫とたわむれる祖父母みたいな時間は頑張って作ってあげたよ。
けど、私の大切な娘まで傷つけるんだってわかった時は、許せない!!(怒)って思ったから、私はその親孝行も辞めた。
その大切な娘が「おじいちゃん、かわいそうだ」って思っていたから、亡くなったって知らせを受けて悲しんでいたから、そばに行こうって思っただけ。
でも、その時間で親子の時間作れてよかったって思うよ。
正当な理由で大学を休んだり、家に帰ってきて会話して、安心をもって戻ることが出来たから、それはとてもタイミングが良くて「ありがとう」って思ったよ。
社会貢献がしたかった父。
その意思は私がさらに大きくしてつなげている。
カウンセラーさんに、「お父さんの偉業はすずきみちえさんを育てた事」と言われたよ。
ちょっと違和感があったけど、「そうかな?」(笑)って思えるよ。
親は反面教師ですべてだったような気がしていたけど、プラスの面もあるってわかったよ。
だから、ありがとうね。
だいすきだったんだよ、パパ。
ママの事も好きだったんだよ。わたし。
弟の事も大好きだったんだよ。
私はちいさいながらも、自分の家を守りたくて必死だったけど、叶わなかった。
ただそれだけなんだね。
でも、今は自分の家族を大切にしたいと思える大人になったから、生きててよかったなって本当に思う。
大好きな音楽。
大好きな人。
大好きな本。
大好きな映画。
大好きな手話。
大好きな話。
大好きな仲間。
いっぱい大好きがあるよ。
だからありがとう。
ずっと、ずっと逆らってきたから、今ちょっとバランスが悪いかもしれない。
けど、きっとなれるから、大丈夫。
もうすぐ新しい年が始まる。
さよなら、大好きな人。