函館の人はもう、記憶にうすくなっているでしょうか?
5年前有斗高校生が集団暴行にあい、命を落としました。
昭和公園という場所で、たくさんの目撃者がいる中で、命のともしびを消されていきました。
近くの町内会の役員の方々が、そのことを風化させないためにと、毎年「いじめをなくすにはどうしたらよいか」と話しあって来た。そして今年が5年目になるのだそうです。
5年ということは、もう彼らは成人していますね。
この時も、家庭環境がどうのと、被害者のことを悪くいう人が結構いました。
でも
殺されていい人はいないと思うのです。
連日で大変ですが、
不登校もいじめも子どもの人権をどう考えるか、そこに尽きると思います。
よく、どこからがいじめで、どこからが遊びなのだろうと聴かれます。
被害者が命の危険を感じたり、抑圧的な気持ちを持ったりしたら、それはいじめであり、犯罪です。
ただ、私が怖いと思うのは、先生もその抑圧的な態度で生徒に、接していることがままあるから、先生もいじめの仲間になりやすい現状だということ。
教育を受ける権利は子どもの側にありますが、学校に通う権利ではない。
命を落とすくらいなら私は学校じゃなくてもいいと、思っていました。