虐待を生きぬいて~連鎖を切りたいと願って生きてきた人生と快復~

虐待のサバイバーからガーディナーへ。


大きな樹の根を見つけた。
どんな暴力からも「逃げていい」って伝えたい。

魔女ではなくて、『愛の宅急便』

2013-03-26 18:57:33 | 魔女の宅急便
私には、母から来る宅急便が苦痛でならなかったという事実があった。

学生の時は、それなりにありがたいと思っていた。

それなりに苦学生だったので、時折届くお菓子、洋服、自分のものは何も買える状態ではなかったので、助かった。

けど、それが苦痛だと感じたのは、母親が再婚し、その連れ合いに、「ありがとう」を強要されたことだった。

きっかけは忘れたけれども、「お礼の一言も言えないのか?」と言われたことがあった。

母は、その連れ合いの方の息子と私を結婚させたかったらしい。

確か年齢は二つくらい上で、頭も良かったらしい。

銀行にお勤めになったが、私とは会話もしたことがない。

施設で働いていた時に、同じような結婚をした上司がいた。

それはお互い了解済みで、奥さんになった人の親の仕事を継ぐという使命があったらしい。

それで苗字も変えて、職場を去った。

私は、話したこともない人と暮らせるとも思わなかったし、親に自分の人生を決められたくないと必死で逃げたばかりだったので、10年しか一緒に暮らしていない母のその感覚がわからない。

今もわからないけどね。

結婚の話を正式に断り、妹との同居が始まり、それでもなお意地になって宅急便を送ってきた。

そのころも、妹にはクレヨンとか、お菓子とか、サンタさんの時期にはクリスマスのお菓子だったり、それなりに助かった。

でも「お礼」は強制的に電話を掛けないといけなかった。

「ありがとう」って。

してもらったのだからありがとうっていうのは、当たり前かもしれないんだけれども、

苦痛になってきた。

社会人になって、それなりに生活ができて、何年経っても同じものが送られてきた。

多分病気もあったのだろうと思うけれども、腐ったもの、古くて捨てるしかないもの、首のない人形。

しかも娘が生まれてからはそれが顕著になった。

統合失調症なのか、認知なのかわからないが、myルールはものすごかった。


さて。

愛の宅急便。

娘が頼まれていたお土産、六花亭のバターサンド。

忘れたよ~~とメールが来た。

そして忘れ物のブラシ。これはきっと困るだろうと思っていたら、夫が一緒に送ってやるか?と勇んで「金森倉庫」に買いに出かけついでに郵送。


甘い親だと思うけれども、それが「愛」だ。(笑)

いくら使わせたら気が済むんだと言いながら、出かけていく夫は幸せ者だ。

きっと、「とうちゃん、ありがとう」というメールを見て、ニヤニヤするんだろう。

家族で一斉送信できるクループを作っているので、その会話も楽しい。

便利になった世の中。

文字に頼らず、電話もそこそこ使ってくれる。

これも、携帯電話があるからこその会話。

魔女が悪い魔女にならずに済んだのは「愛」がいっぱいの娘のおかげです。

大きな荷物はもう届いたらしい。

そして、バターサンドは明日届くだろう。(笑)

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